5月31日
あれよあれよという間に6月になる。引っ越しの準備をせねばならないのに一向に部屋は片付かないし、長ネギは腐らせるし、日記はサボるし。身の回りの何もかもについて無計画のまま、ただ時間だけが過ぎていく。
(今日は下書きに色々書いてみたけれど、あとで読み返した時に自分のことを自分で嫌いになるような文はあまり残したくない気分だったので上の文以外全部消した。個人的にはなるべく元気な時に日記を書きたいものです。)
過ぎていく時間を見つめると宇宙について考えることになる。宇宙について考える材料として最も扱いやすいのが時空間だが、それについて一度考え始めてしまうとそう簡単に結論が出るものではないため非常に疲れがたまる。
以下、本日発症したおとなのなぜなぜ病(抜粋)である。
やれ時間は速度によって変化するだの、ブラックホール上にはそこに落ち込んだ物質の情報が蓄積されているだの、重力とは時間の流れが遅い方へ質量を移動させる力だの、そんなこと言われても生きることが怖くなるだけだ。もっと明るい研究をしてほしいなんて思ったりするが、この恐怖を感じるアングラ感も宇宙の魅力なのかもしれない。
重力が空間を歪めて時間を遅らせることは既に観測されているらしく、実際太陽の赤道はその重力によって本来より数㎜短くなっているらしい。そこに落ち込もうとするエネルギーが働いているということは、物質が時間を失う事を望んでいるということなのだろうか。
宇宙が始まる前の時間はものすごい早さで経過していたのか、それとも一瞬たりとも動きのないものなのか。物質は時間経過から逃げようとしているのか、本来の状態に戻ろうとしているのか。前者だとして、宇宙は高次の時間の蛇行の結果なのかもと思うとその高次って何ってなって怖いし、宇宙だけが時間という概念を持っているのもそれはそれで無あるいは無限という「おしまい」が見えてしまって怖い。
空間も大概だ。空間の外に空間が存在しないなら、空間はどこに存在しているのか。存在という概念が空間特有のものだった場合、空間があるというのは一体どうゆう概念なのか。
宇宙の誕生と膨張、今の専門家の見解では宇宙は平行もしくは開いているという事らしいが、仮に閉じた宇宙だった場合に宇宙はビッククランチで終わるとされている。ビックバンの逆、すべての空間、物質が一点に集中して無に変わる瞬間。その時に意識が存在していたらどんな感じなんだろう。
ビックバンとビッククランチを繰り返す波の中に僕らがいるのだとしたら、次に来る波にも僕は存在していて、これと同じことをこのパソコンに書き込んでいるんだろうか。同じタイプミスをして、同じタイミングで伸びをしているんだろうか。いったい何人僕はいるんだろうか。
もし違うことをしていたとして、それは波が一定でないということになり宇宙は1波長ごとに異なる存在になるわけだが、それ等は相互にどれくらい異なっているのだろうか。せいぜいタイプミスのタイミングが変わる程度のマイナーチェンジを繰り返しているのか、人間や太陽系が存在していないほどか、もしくは物理法則が根本から異なっているのか。
仮に一つ一つの波形が異なっていても無限にこの波が続くとしたら、今いる宇宙と全く同じようにふるまうモノが無限に存在するはずで、じゃあそのバリエーションはいったい何のために存在しているのか。
無限に続く宇宙の誕生と崩壊の波の中には無限の可能性があるが、その個々の可能性は無限に実行されるのであって、それぞれの波は無限の中の一つという特異性持っているように見えて実は無限に存在するごくありふれたものであるのか。
この宇宙が開いた宇宙だとして、じゃあその行先はそれぞれの物質が相互作用することが不可能なほどに孤立してしまった希薄空間が無限に広がる事なのか。物質を構成する最も微小な真の素粒子のサイズにまで空間拡大の影響が及んだとしたら、それらの粒子間を満たすものは無なのか。というかそもそも、現在の段階でも粒子間に空間が存在しているはずで、その間を満たしている物は一体何者なのか。
5月の振り返りは明日明後日でやろうy
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