渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

今週のお題:よく考えたら下半期って上半期よりも気温差があるな。

6月19日

今週のお題「上半期ふりかえり」

 

 6月が終了した時点で2024年も半分が終わる。

 そういわれてもなぁ。新年度は始まったばかりだし、これから暑い夏が来る。

 こう、時間・時期に厳格な誰かしらから言われなければ6月で半年終わるということに思い至ることもないだろうなぁ。

 子供のころは6月が終わると一年が半分終わるということが不思議でならなかったものだが、結局それなりに年を取った今でもその感覚に変化はない。

 これについては明らかに会計年度や学校年度が4月から始まるがゆえに引き起こされる違和感であり、つまりは「年度」というシステムが悪さをしているということになる。新年度のドタバタが終わってようやくこれからというところで「今年も半分終わりました」と言われれば、そりゃ前のめりにずっこけたくもなるというものだ。

 よく「きのこ・たけのこ論争」みたいなものが話題になったりするが、もしかすると「6月・9月論争」も存在するのではないか? 果たして本当の折り返し時点はどちらなのか。

 

 いろいろ言ったが、それでも確かに西暦の2024年上半期はこの6月で終わるのであって、振り返りをするにはちょうど良い節目に見えなくもない。ここはひとつお題に乗っかって2024年の上半期を振り返ってみるのが良いかもしれないと思い、今日この日記を書くに至る。

 

 

 とは言ったものの、特に何もなかったなぁ。

 趣味も仕事も特に大きな動きがなく、引っ越しもしていないし、身の回りの誰かに大事も無かった。

 

 強いて言えばこの日記を再開したことだろうか。12月に中断した日記をこの4月から再開し、それなりのペースで記事を作成することが出来ていると思う。

 特に面白いことは書かれていないけれど、その日に頭を使ったことは記録として残っている。浮かんでは消えてを繰り返す考えを、少なくともその日記を書いている間は継続することが出来ていたということがミソだ。

 本当は現状のクソガキ自己満日記ではなく、誰かが読んで大笑いしながら床を転げまわるような文章を書きたいけれども、書き出してみると案外ままならないものだ。ついつい「そうあること」から逃げて指が動くに任せた垂れ流しの文章を重ねることになってしまう。

 

 普通に考えて、文章を書くことについての課題は書くことではなく考えることにある。文は長く書こうとすればいくらでも長くなってしまうものだが、読み手にこれを感じてほしいとか、自分はこう言いたいのだということを的確に伝えようと企むと途端に何かしらのスキルが要求されるようになる。

 普段はこんな適当な文章でも別にいいのだけれども、いざ本気で文を書こうとしたときに普段の雑さに引っ張られてしまってはいけない。

 書くことだけが伸びてしまうと、伝えるための文を書こうとしたときに考えが追いつかず、何とも中途半端な出来栄えの文章になってしまうことは想像に難くない。もちろん普段の文章も何も考えずに書いているわけではないが、考えにかかる荷重が軽いことは確かで、ずっとこんな文章ばかり書いているのでは明らかにバランスが悪い。

 たまには力を込めた全力の文章を書かねばならないとは思っているのだが、どうも腰が重い。というのも、僕には文章を書く目的が無いからだ。

 何かどうしても他人に伝えたいことが自分の中で生まれればやる気もついてくるかもしれないが、現状そんなものはない。

 ひょっとすると、それらを自分の中から生み出すことが出来るかどうかに才能は宿るのかもしれないな。

 

 

 ああそういえば、冬にバイクがまた故障して、エンジンがかからなくなってしまったこともあったな。「多分バッテリが終わってんだろ」ということで近場の”2りんかん”でバッテリーを買ってきて交換したら普通に動いた。

 バイクはむき出しの機械だからどうしても故障とか多いけど、なんやかんやで結構しぶとく、なんとなく修理してみれば案外乗れるものなのである。車ではこうはいかないだろう。

 

 バイクは車両への信頼感が自分への信頼感に密接に関わっている、というか自信が車両への信頼そのものになっている印象だ。日頃から車両の点検を欠かさず、ちょっとした部品やオイルの交換を自分ですること。そうすると、このバイクの安全は自分自身が握っているという責任感が芽生えてくる。

 よくわからない何かではなく、自分が良く知っている機械に自分の身を預けるということ。走行中の故障はすべて自分の責任にすることが出来るということ。流行りの言葉で言えば「生殺与奪の権を自分で握る」ような、そうゆう孤独な安心感というか、受け入れやすい自己責任というか、そういう趣がある。

 要するに、整備をサボればその分マシーンに対して不信感を持つようにになるし、逆に納得いくまで整備を行えばその程度に比例して信頼感を持つことが出来るということだ。自分の整備に自信が無ければ車両を信頼することが出来ないのである。

 

 これについては何もバイクに限った話では無い。使用する道具についてよく知らなければならないというのは、車もパソコンも、あらゆる機械や道具について言える事だ。

 ただバイクの故障は命の危機に直結する問題であり、またその頻度も多いことから他の機械製品よりもその点を強く意識することになるのである。

 そんなこと言うならば、バッテリーが終了する前に日頃から整備・点検をしろという話であって、自分の言葉に耳を劈かれて消沈する。

 

 結局、バイクの整備点検で最も大事なのは乗る事だ。

 「乗る」という目的があるからこそ整備点検という行為は意味を持つのであって、整備点検自体は目的ではない。

 あまりにも乗らな過ぎた1・2年間を取り返すべく、この5月からバイクでのソロツー(友達いないので)を再開した。やはりバイクは乗っていて楽しいものだと思った。

 楽しさの基礎は安全である事。特にドライブやツーリングは、公道という公共スペースを利用せねば成り立たない趣味であるが故に、殊更意識せねばならない事である。

 今後はよく乗り、よく整備する。これをモットーにしてバイクに向き合っていこうと思った。

 

 

 上半期は特に動きが無かったが、2024年下半期はそれなりに動きがありそうな予感がする。

 8月に引っ越しをするということはこの日記上でもたびたび言及しているところだが、それに向けた準備を現在進めているところである。もちろん引っ越し云々についてもそうなのだが、仕事も変更することになるわけである。

 しかし、このおまぬけ人間はいまだに職を探していない。果たして職は見つかるでしょうか? いや、どうあがいても職は見つかるだろうが、その中でいい所が見つかるかどうかは今後の僕次第である。

 

 あと、8月からは日記と並行して音声でも記録をとるということを先月末に決定した。この音声を公開するか非公開にするかは迷うところだが、今のところ非公開説が優勢である。

 仮に公開するとして、もちろん何かしらの編集を加えてから公開することになるだろう。でなければ到底聞けたものになるとは思えない。「とれたて」で喜ばしいのは野菜とか鮮魚くらいなのである。

 音声記録については、おしゃべりする練習になったらいいかなと思っている。たまに文字起こしして日記にて公開することもあるかもしれない。

 とにかく、これについては始めてみなければわからない。

 

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