8月8日
咳が止まらぬ8月8日。いまだに咳止め薬と仲良く暮らしている僕である。
前回、8月5日に投稿した日記の日付を見てみたら「8月4日」になっていたことに気が付いた。夏休みのような長期連休には往々にして時間の感覚がズレてしまうものであるが、僕はといえば休みか否かに関係なく相変わらず時間にルーズな生き方をしているのだということを否応なく実感することとなった。
時間にルーズ
「時間にルーズ」というと大抵の場合において「遅刻魔」の言い換えであることが相場であるが、僕の場合は”日”や”週”の単位でずれてしまっていることがある。
できる事なら頭に電波時計を入れておきたいなんて思ったが、おそらく僕の場合は「時間を認識しているかどうか」というよりは「時間に関連した情報を認識しているかどうか」がハードルである。
つまり「今が何時か」が分かったところで「その時間に何の予定が入っているのか」を覚えていなくては意味が無いわけで、それが不得手である僕がどんなに正確な体内時計を持っていたとしても僕のルーズさは変わらないということなのである。
そう思うと悲しみが増した。
夏
今年の夏は暑くなると聞いて身構えていたのだが、少なくともここ数日は過ごしやすいとまでは言えないが、過ごせなくもないくらいの気温で推移しているように思う。
関東の北部は毎年「暑い」ことがニュースになるような地域だが、ここ最近は南関東の方が暑いようだ。南に台風モドキが控えているという気圧配置の影響は大きいのかもしれないが、こう暑すぎない日々が続いてくれると非常に助かる。
本日も暑いことに違いはないのだが我慢できないといったほどではなく、もしもこのくらいの気温が続く感じならば「夏も悪くないな」と感じるのではないかと思えるほどだった。
暑さを楽しめるような、風流な夏。
日本くらいの気候であれば冬はいくら寒くても風流ではあるが、夏は暑すぎると風流では無くなってしまうのである。
こんな日にそうめんを食べるというのもなかなか乙なものなのではないかと思いたってベイシアで乾麺を買ってきた。夕飯に食べよう。
そういえば、子供のころに敷地内に生えていた竹を活用して”流しそうめん”をやった記憶がある。
個人的に「そうめんを流し、それを食す」という食事のスタイルは「食べ物で遊んではいけない」という道徳と「食事を楽しむ」という文化が折衝する点にあたるような気がしている。
流しそうめんは「食事を楽しむ」という文化としてはかなり「遊び」寄りではあるが、あくまで「食べる」ことを目的とした行為であるという点が多くの人に知れ渡っているということによってタブーとされていないのではないか?
道徳と文化の狭間に位置する「流しそうめん」という行為は文化の範疇のギリギリに位置しているからこそ、それ以上の不道徳は許されないという意味で自由度が低い食事方法といえるのかもしれない。「流しそうめん」という言葉が纏うあの楽し気な雰囲気とは裏腹に、実際には大きな緊張感をもって執り行う必要がある行為なのかもしれない。
喫茶店開拓
高校の時分、僕は片道1時間の電車通学であった。
都会の電車に1時間はかなりつらいが、幸い当時の自分が通学に使用していた路線はローカルもローカルであった為、基本的に行き帰りの電車内では座席に座ることができていた。
その間僕は基本的に地図帳やスマートフォン等で地図を見ていたり、クラスの人間と遊ぶためにオリジナルのボードゲームを考えたりしていたわけである。(「1日2時間も電車で座る時間があったのならば、さぞかし勉強が捗ったであろう」とお思いの読者もひょっとしたらいらっしゃるのかもしれないが、もちろんそんなことはない。)
ある日スマートフォンで地図を見ていた時、自宅と高校それぞれの最寄り駅のちょうど中間に位置する大きな駅(といっても駅前にコンビニすらないのだが、路線内では相対的に大きな駅といえた。)の近くに喫茶店がある事を発見した。
グーグルマップで見てみると細い縦長の窓がまばらに取り付けされている古びた外観の建物で、店のサイズもかなりこじんまりとした様子だった。
その日、当時からそれなりにコーヒーにハマっていた僕は「後で行ってみよう」と決意したのである。
月日は流れ、おおよそ10年が経過した本日午後にいよいよその店を訪れることになった。
もちろんこれまでもその駅を通過するたびに、「あの喫茶店行ってみたいなぁ」と思い続けてはいたのだが、いかんせんローカル線なものであるから途中下車という行為のハードルは都会の過密な鉄道路線と比べて高いのである。加えて大体15時過ぎに授業が終わって、そこから電車に30分乗って17時という閉店時間に間に合うかという問題もあったし、そもそも僕は部活をやっていたので17時にその店に行くことは部活を辞めて学校を早退しない限り不可能であった。(もちろん休日に行けばよいではないかという意見もあるだろうが、僕は休日に外へ出るほど活発ではなかったのでそれも不可能である。)
高校を卒業してからは大学やらなにやらに通うべく地元を離れてしまっていたので、そもそもその駅を通過することもほぼ無くなってしまった。結局あれよあれよという間に時間だけは過ぎていき、そして本日に至ったというわけである。
店の扉を開けると、店の外観から想起されるイメージに違わず薄暗い雰囲気が場を包んでいた。また予想していたよりも店内はコンパクトで、4人分のカウンター席とギリギリ4人座れそうなボックス席3席がパズルのように配置されていた。カウンターの奥には家庭用のものとほぼ同じサイズ感のキッチンがあり、その壁面には一面にコーヒーカップとソーサーが秩序立って並べられていた。
ボックス席を使ってよいとのことだったのでありがたくその席を利用させてもらう。席に座りブレンドとティラミスを注文して冷たい水を一口飲んだ。
店内を見回すといたるところに時計がかけられていることが目に付いた。よく見るとそれらの時計はすべて異なる時刻を示しており、またその秒針は時を刻むことに飽きてしまっているようで、それぞれ思い思いの位置に落ち着いていた。
なんか、いいな。
時計は本来正確に時間を示すことが求められるが、ここに置いてある時計はひとつ残らずその義務感から解放されているのである。
時間に縛られていることで有名な我々人間としても「時計を見る」という行為の意味を見失い、果ては時計という道具によって代表される時間という概念すらその場には存在しないような気がしてくる。
店員さんに聞いていないので本当のところはわからないが、僕としては店内の時計を見て「時間を忘れてゆっくりする」というイメージが湧いた。なかなか良い雰囲気と言える。
少し時間をおいてコーヒーとティラミスが手渡される。
きてみて驚き。ここのコーヒーもかつて千葉県の焙煎所で提供されたような、紅茶のような薄さのコーヒーであった。これは期待がもてる。
一口目を口にする。ここのコーヒーも色の薄さに反してしっかりとした香りを持っていた。豆の焙煎の終盤に漂うような芳しい香りが一面に広がる。
10年間この店を訪れなかったことを悔やんだと同時に、新たに善き喫茶店に出会うことができた悦びを噛みしめた。
ぜひ、また来ようと思う。
corvuscorax