渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

タグについて・傘について

 

 そういえば一昨日くらいから記事にタグをつけるようにした。

 するとどうだ?昨日まで2回見られていたら多いほうだった僕の日記の閲覧回数はタグ付け初日の午前の時点で10回になっていた。5倍である。

 その時点での累計閲覧数は42回であったから、その日の午前中までについてみれば全体の1/4のアクセスがその日に集中したとも言える。えらいこっちゃ。

 これがもし株や為替であったならば大騒ぎだろう。何曜日かはよくわからないが悪夢と呼ばれることになるに違いない。

 

今日の鳥 
カモが中州で休んでた

足と尾羽付近の飾り羽だけカラフルでかわいいやつら。
水鳥って重そうなのに渡とかするからすごいですよね。肺とか強そうだし。

 

タグ(ネット)

 前書きで書いた通り、僕も最近タグというものを使い始めた。

 結果を見て、こうも影響があるのかと思った次第である。もし広く人々に知らしめるべくブログを書こうとするならば、タグをつけるセンスや知識は必須だなと思った。よく耳にする「えすいーおー対策」ってのはこれのことを言ってるのか?もしかして?

 

 あまり説明書を読み込まない私は、タグというものについてよくわかっていない。タイトルや見出しと何が違うのか?なんだろう?「ポケモンのタイプみたいだな」って漠然と思っているが。

 友達に聞いてみたら、曰くそれは「看板」だそうだ。なるほどな。逆に人に見られたくないならばタグをつけないという手もあるわけだ。

 

 タグが看板の類であることは分かった。だがつけ方がわからない。何を基準にしてタグというものをつけるべきか?

 結局#日記とタグ付けして、それ以外は見出しをそのまま流用したようなタグしかつけていない。

 

 そもそも、僕はこの機能を活用すべきなのかもよくわからない。人が見てくれているという実感はうれしいものだが、人に見せようと前のめりになっているわけではない。だとしたらそもそも「タグ」についてもやもや考えることは、僕にとってあまり有益でないのかもしれないな。

 

 

タグ(服)

 タグといえば僕は服とかについてるタグを素手で外すことができる。100発100中で。

 あのプラスチック製のわっかはある特定の方向に力を加えると外れてくれる。輪の内側に両親指を通し、内側から留め具部分に圧力をかけてやると「ブチッ」といって吹き飛ぶのだ。

 たまに輪が小さすぎて指が入りずらい奴や、べらぼうな強度を誇る奴もいて親指がちぎれそうになる時もあるが最終的にいつも指が勝つので、今のところ僕の両親指はつながったままだ。幸いにも。

 

 「ハサミを使いなさいよ」とよく言われるが個人的にこれは「一駅歩こう運動」みたいなものだと思っていて、抑揚のない日々の中に起こる小さな波紋なのだ。

 移動のための機械や設備がいかに整備されようともトレッキングにいそしむ人は一定数存在する。つまり方法や手段は人間の行動を決定しない。人間は常にそれらを選ぶ側だということを忘れてはいけないと思うのだ。

 ロープウェイが整備されている山にも徒で上る人間がいるように、手段があるならばそれを使わなければならないわけじゃない。

 同様に、ハサミのような切断に特化した道具が用意されていたとしても、それを使ってタグを切れと命令されているわけじゃない。

 それならば自分の素手の力を試したって良いのではなかろうか?

 

 タグをハサミで外したときに僕は「日々」に完全に同化して、人から顧みられることは無くなるだろう。それは我慢ならんのです。

 

 僕は傘が苦手だ。

 いや、傘というオブジェクトが苦手なわけではない。パラソルカービィは普通にかわいいと思っている。

 傘をさすことが不得手なのだ。逆に得意な人っているんですかね?傘さすの。難しくないですか?もし傘さすのが得意な人(プロの傘さし士みたいな人)がいるならば教わってみたい、傘のさし方。コツとかあるんだろうか?

 

 まず傘は足元を守ってくれないし、なんなら成長するごとに傘は僕たちを見放していく。

 傘の保護範囲は各骨の先端を頂点とする多角形を底面とした鉛直下向きの錐形の領域だといえる。つまり傘は下に行けば行くほどその保護範囲を狭くするのだ。

 背が伸びると傘を保持する高度が上昇し、傘が私たちを保護してくれる範囲もそれに伴い上昇する。それでも保護領域の中に体を収めようとするならば傘自体を大きくするか、傘をできるだけ低く構えるしかない。

 低く傘を構えることは周囲の見通しが悪くなり危険だし、不審者すれすれの外観を他者にさらすことになる。疲れるし、いろいろ不都合だ。

 では傘を大きくすれば解決か?いや、傘の大きさは頑丈さとのトレードオフだ。

 大きな傘は風にあおられるとすぐに壊れて、蝙蝠のお化けみたいな間抜けな形になって僕らを風雨から守ることをやめてしまう。

 子供のころは楽しかったですよ、傘をひっくり返す遊びは。骨が金属のやつだと壊れるから白いプラスチックの骨のやつをわざわざ買ってもらってた記憶があるくらいです。広げた傘をスイングしてパラボラアンテナみたいにして、その皿に雨を溜める遊びをするのが雨の日の下校の楽しみでした。

 あれほんとにおもしろかった。ある一定量を超えると反転した傘の骨組みが雨の重みに耐えられなくなって急にもとに戻るんですよね。その時に傘の内側からは滝が見える。自分の周囲に水のカーテンを作るときめきを小学生の時の私は享受していた。

 

 そして群衆に傘は向いていない。

 これはもう説明不要、傘をさすと人間1人の占める投影面積が晴れの日の3・4倍くらいになる。人とすれ違うのも一苦労だし、ほかの人の傘の先端が目に入りそうになって怖いし、ほかの人に傘をぶつけることも怖い。

 

 雨の日は家でゲームとかしてたほうがいいですね、できるものならばの話ですが。明日から雨の日には合羽着て出かけるようにします。

 

今日の鳥
カラスがフェンスにとまってた

かわいいね
 持ち合わせのカメラで撮ったので画質はあまりよくないですが、画素の粗さを貫通しても可愛さが伝わるところがカラスの良いところです。
 この子はおそらくこの夏近所の送電線用鉄塔の中腹に巣をかまえていた一家のうちの誰かでしょうね。
 今年、自宅周辺には観察可能なカラスの巣がいくつも設置されて嬉しかった。もし当時日記を書いていればおそらく1万文字は堅かったでしょうね。それほど語ることができると思います。カラス好きですから。
 ご近所のカラスたちの中でも、鉄塔中腹の一家は自宅から一番近くに営巣していたのでよく見に行っていました。
 近くの星野珈琲店の目の前の電柱に営巣している一家もいて、星野のカウンター席?(なんていうんですかね、スタバとかドトールにもある路面に面したガラスに向かって座るタイプのカウンター席。)からよく見えたんですよね。来年もぜひ近くに営巣してほしいものです。

 

昨日はサボった

 昨日は日記をサボタージュした。一昨日2つ書いて、2つ目を日が変わってから更新したことによって記録上は毎日日記書いてることになってるけど実際昨日は日記書いてない。

 一応毎日日記を書くということを目標にしているので、今日からまた毎日書こうと思っています。

 

 昨日なぜ日記が書けなかったかというと友達と出かけていたからです。でっかいイオンに行ってとんかつ食った後にココス行って、ポテトx2、包み焼HB、ピザ、トーストを食った。友達はカレーも食ってた。食いすぎだろ。

 

corvuscoax