渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

「6」と「9」は似ている。

9月3日

「危ないよ。数字はしっかり確認しないと危ないよ。」

 本当ならもっと含蓄に富んだような文面で表現してみたかったところであるが、これについては焦りに焦ってしまってそれどころでは無かった。

 以下本日15時ごろのお話である。

 

 この度転職をした僕は、今月の「9日」から仕事が始まる。しかしながら、僕の予定表には「6日」からと書かれていた。

 そんな状態で初出勤前の確認のために電話をし、さまざまに納得をした後「では、6日からよろしくお願いします。」と爽やかに締めようとしたところ「あれ、9日からじゃなかっったっけ?」と、管理者の方からそのような恐ろしい言葉が飛び出た。

 え、マジ? 僕は仕事が始まる日を間違えるほど終わっていたのか。

 「いやー、6と9って似過ぎてません? もっと無かったのかよって思いますよねー。あははー……」と誤魔化して事なきを得た(のかどうかはさて置き、とりあえずの自分自身の心の平穏を保とうとした。)。

 

 実際問題、6と9は似ている。ひっくり返しただけじゃん。

 そりゃ「9日から。」と言われて(あー6日からか。)と勘違いしてもおかしくはないでしょう。なんでこうなっちゃったんだろう?

 この2つが似すぎているから”UNO”等の数字が上下さかさまに表示される可能性があるような物体において、下線をつけて情報を補強しなければならない。それほどに「6」と「9」は相違がない。これは記号として致命的すぎやしないか?

 これを機に数字を少しまじまじと見てみたのだが、5と2も少し似ている。実際デジタル数字で表記すると鏡文字になってしまう。

 この2つの数字については曲線と直線の両方を使用して表記されているという共通点がある。ほかの数字は、例えば「1・4・7」はいずれも直線のみで表記され「3・6・8・9・0」は曲線のみで表記されるが、「2・5」は直線と曲線の両方を用いて表記される。

 だからなんだという話だけれども。

 

corvuscorax

 

お腹痛い。

9月2日

※3か月前くらいに書いた下書きを思い切って公開する。

 

 どうやら僕は文を書くのが下手らしいという事になんとなく気が付いてから早1年。半年前からはこの日記も始めてみたが、一向に人に何かを伝えることが出来ていないように思う。例えば仕事で指示書を作った時、チェックしてくれる上司は決まってわかりずらいと僕に伝える。

 自分で自分の文章を分析して「これか?」という部分はあって、もしかすると僕は情報に強弱をつけることが出来ていないのではないかと思っている。説明しなくてもよいことを長々と説明し、説明すべきことが薄まってしまっているのではないだろうか。普段の生活でも優先順位をつけることを不得手とする僕のことだから、よくある伝わらない文章の特徴の中ではこれが一番当てはまるように思う。

 とはいえ、正直これについては自省しようにも方法が無いため、今はどうすることもできないのだが。

 

 ちなみに僕が不得意とするのは文だけではない。写真も苦手である。

 施工管理やビルメンをしていたころはよく写真を撮らされたが、撮った写真を上司に見せるたびに怒られていた。

 曰く「何を伝えたいのか考えて写真を撮りなさい。」とのことだが、僕だって考えなしに写真を撮っているわけではない。

 受け手がある程度自由に情報を受け取ることが出来るからこそ画像は伝える媒体として優秀なのであって、であれば撮影者はできるだけ情報を限定しすぎないことを求められるのではないか?

 今となってはあらかじめ何が知りたいのか聞いてから写真を撮影するべきだったなと思っているが、それを聞いたところでちゃんと求められる写真を撮影できるかは不明だ。

 こうゆう人間がいるという事を考えると、日々携帯電話で写真を撮ることも全く無駄なことではないのだなぁと思ったりする。(僕は全くと言っていいほど写真を撮らない)

 

※以下本日書き足し文

 

 最近はしっかりジムに行って運動をしている。 僕の場合はダイエットが目的であるから筋トレはそこそこにして有酸素運動を大目に取り入れているのだが、今日は普段よりも長時間を筋トレに割いた。結果、少しばかりやりすぎてしまったようで体が痛くなってしまった。筋肉痛の痛みは苦痛だが、ちょっと快感も伴っているよなとも思う。僕が行っているような運動など本当にちょっとした努力でしかないが、それでもその後味が残るのは気持ちがいいのだ。

 人間の性格はそうそう変わるものではないが、人間の身体は少なくとも性格を変えるよりは比較的容易であると言える。人間の身体はとりあえずまとまった時間を取り、定期的に運動をすることで想像をしのぐ速度で変化する。基本的に僕は運動が嫌いだが、そうゆう目で見ると運動もなかなか楽しいものだななどと思ったりするときもあるのだ。

 

 疲れが文を考えるのを邪魔してくる。

 

corvuscorax

髪を切り、ハンバーグを食す。

8月28日

 本日は髪の毛を切りに、自宅から車で40分ほどの多少栄えている街まで出てきた。

 栄えていると言っても中核市の基準に満たない人口の小都市ではあるのだが、少なくとも地元よりはあらゆるサービスに関して選択肢が多い事は確かと言える。

 前回初めてこの店で髪の毛を切った時から数えて早2ヶ月、「いつも行ってた美容院が休みだったから」という理由で訪れたことがきっかけではあったが、無理に短髪を勧めてこないという点で気に入っている。隣にでっかい商業施設(といっても、あくまで相対的にという話ではあるが。)がある為、ついでの買い物にも便利である。

 何よりデカいのは、退店時に次回の予約を取ってもらえる事だ。(いや、おそらくそれ自体は他の店でも出来るのだろうとは思うのだが。)これならば僕の自堕落に任せて髪の毛が伸び放題になる心配も少ない。やはり自堕落の矯正には何かしらの強制力を働かせる事が特効薬となり得るのである。

 以上の理由から、今後しばらくは引き続きこの店を利用する事になるだろう。(決して「今更他の店を探す事が面倒くさい」などという後ろ向き極まりない理由では無い事は殊更強調せねばなるまい。)

 

 なんやかんやで髪を切り、いい感じにしてもらったので、その店の近場にあるレストランでハンバーグを食べる事にした。

 バーガーキングに行くかどうかの2択に悩まされたのだが、結局は同じような値段に落ち着くのであればドリンクバーがある方が良いと思い至ったのでこちらを選択した。(結果注文しすぎて結構な値段になってしまったが、まぁ仕方ない。)

 相変わらずこのハンバーグは美味しすぎる。月に一度はこれを食べて食の愉しみを再確認する事が、最近の僕にとって割合大事な事になり始めている。

 静岡の“ゲンコツ”はもちろん美味しいのだが、北関東の“爆弾”も遜色ない美味しさである。(町田にも“ホームズ”が居たが、こちらは機会に恵まれず、結局来店できないまま引越してきてしまった。)

 また、名前は忘れたが、ドリンクバーに置いてあった期間限定のお茶を飲んでみたところ、甘い香りがするものの味は甘くなく非常に飲み味がよかった。次に来た時にまだおいてあったらリピートするのも良いだろう。

 

corvuscorax

 

何となくの思い付き

8月27日

 昨日バイクのミラーを換えまして、というのもよくよく計測してみたらそのサイズが保安基準に達していなかったもので、こりゃいかんというわけで即刻近所の2りんかんでミラーを購入して取り付けたわけです。

 250ccのバイクというのは車検がないことが強みではありますが、その分今回のような整備不良や故障の発見が遅れるというのは最大のデメリットでもあります。

 何事も一長一短ということではありますが、どちらかというと心配性でありかつ自信家ではない(その上面倒くさがりな)私のような人間は、車検という強制力で他人に自身のバイクの安全性をある程度担保してもらえる、250cc以上の車両に乗るべきであるという事にここ数年でようやく気が付いたというわけです。

 いくら自分が面倒くさがりだからと言ってバイクが自動的に点検をしてくれるわけはなく、結局は自分自身でオイル類や部品等を購入して拙い点検を定期的に行うのだったら、そのうちの少しでも他人に(プロフェッショナルに)作業してもらった方が圧倒的に良いのだと思います。

 もちろん車検でなくとも自動車工場に点検等を行ってもらうことも可能ですが、せっかく車検費用が掛からない250ccに乗っているのにそこに金をかけてしまっては250ccバイクの強みを消してしまう気がします。しかしながら、その金をケチって自分で整備したバイクに乗り何かしらの故障に出くわしたならば、最悪なのはもちろんのことですが、その原因が自分であるという事実が僕は恥ずかしくて昼下がりの町中を歩くことはできなくなってしまうような気もするのです。

 結局のところ、どのようなバイクを選ぶのかは免許の範囲内で自由なのですが、きっとどんなバイクを買ったとしても何かしらの後悔はするものなのかなと思いました。

 

 話がそれてしまいましたが、昨日バイクのミラーを交換しまして、見え方や取り付けの確認のために近所を宛もなく走り回っていたわけです。

 その際に道端を黄色帽子が集団で歩いているのを目撃し、「ああ、夏休みおわっちゃったんだなぁ」と、もちろん僕自身はその「開けてしまった夏休み」の当事者ではないのですが、それでも何となく物悲しい気持ちになりました。

 新学期という現象にワクワクするのか、それともゲンナリするのかというのは当然個人差があるものですが、他人の夏休みが明けた様子を見て物悲しさによって感情移入を図ろうとする僕自身はもちろんゲンナリ派でありました。

 これについては持論がありまして、思うに、学校から何かを与えられる人間はゲンナリし、何かを得られる人間はワクワクするのではないでしょうか。

 これは学校に通うという事を義務とみるか権利とみるかという話になってしまうのですが、これ以上深堀しても疲れてしまうだけですから今日のところはここまでという事で。

 

今日の日記は何となく「ですます調」で書いた

 「あれ、なんか文体(文調)が……」

 そう、本日は普段とは違う感じの文を試しに書いてみた。

 普段は「だである」の文を書いている僕が、気まぐれに「ですます」してみると上記のような文章が出来上がるのである。

 別に普段から強烈に調を意識して文を書いているわけではないが、それでもちょっとした脳トレにはなったように感じる。

 

corvuscorax

 

オイルジョッキで麦茶を飲むとロボっぽく見えるかも

8月24日

 僕はといえば、仕事においても、趣味においても、生活においても。事、有言実行という四字熟語が司る人間の性質の範疇においてはその逆、要するに「言いはしたものの実際の行動に結びつかない」ということが大半であると言える。

 実際この日記上においても、やるといったにもかかわらずその陰が見えていない事柄を挙げてみれば、およそ10か月間という比較的短いと言える期間で相当な数を数えることができるだろう。

 僕自身が思い出せる例としては、例えば「読書感想文を書こう。」「レシピを記録しよう。」「月末に振り返り記事を書こう。」などなど、言ったことすら忘れている事柄を加えればまだまだ沸いて出てくるだろう。言行不一致の鉱脈だ。

 

 何やら反省や後悔の類に見える書き出しをしてしまったが、本日の僕についてはそれらについてそのように向き合おうという気は一切ない。反省や後悔は後ろ向きなイメージがあるが、実際はそれに向き合おうとする極めて前向きな気持ちだ。今日の僕はもっと後ろ向きに、というか内向きに、自分を甘やかすためにこの日記を書いている。

 いつか自分のこの質と向き合う日がやってくるのかもしれないが、それは今日じゃなくてもいいのである。

 置かれた状況によって変化するという性質は人間性の代表的な特徴だ。何かに追われなければ人は反省も後悔もしない。僕は今、何にも追われていない。

 

近況

 日記には近況を書くべきであるということに最近気が付いた。

 その気づきを活かすか殺すかは僕次第ではあるが、せっかくの気づきであるので今回についてはそれを活かしてみることにした。

 

 最も重大な近況といえば、最近は地元での就職に向けて色々と行動を起こしていたわけであるが、どうやら希望の職に就くことができそうであるということが判明した。いわゆる内定である。

 僕はこれまでいろいろな職を飛び飛びとしてきたが、そろそろ転職回数的にもう限界であるし、今回は腰を据えて老いるまで働こうと思っている。幸い飽きることはなさそうな職で、また自身の趣味にも通じるような仕事を選ぶことができた。

 別に心を入れ替えたりはしないが、この使い古した心でもって、できる限りのことはしようと思う。

 

※現状かなりやる気に満ちてはいるものの、僕という人間はといえば「決意」という言葉の対義語のような存在であるから、急に何もかもがいやになって辞めてしまうようなことも十分ありうる。もしもまた退職したときにはこの日記で報告することになるでしょう。

 

 近況報告はこのくらいにしておいて、本日の話をしよう。本日の僕の行動の大半は「バイクの整備」であった。

 たびたびこの日記上でも書いているように、こう見えて僕は趣味でバイクに乗る。

※僕のようなうっかり人間が「自動車」という危険極まりない物体を操作するのはいかがなものかという問題もあるが、周囲の運転者諸氏の尽力の賜物として、僕は免許を取ってから7年無事故かつ無違反である。事故を起こさぬよう最大限気を付けて運転を行っているので、どうかそこについては目をつぶっていただければと思う。

 

 僕のバイクは250ccクラスであるから2年点検、つまり車検の義務が存在しない。が、運転者の当然の義務として整備不良は許されざる行為であることに変わりなく、結局のところ記録としては残さなくても良いものの、現実的に考えて定期的に腰を据えて整備を行わなければならないことに変わりはないのである。

 ここ数日間はバイクの点検整備を進めており、今日についてはチェーンの張り調整とオイル交換、電装品の配線チェックなどを行った。

 ブレーキの点検も行ったのだが、パッドについては十分に残量があったものの、フルードの変色が著しいことに気が付いた。ベイパーロック秒読みである。

 後日、フルードの交換を行うことにした。

 

どうでもいい話

 話は変わるのだが、オイル交換の際に使用するオイルジョッキという道具がある。

 

これのこと

 今日オイル交換をしているときに思い浮かんだのだが、これに麦茶を入れてコップに注いだら、それはオイルを飲んでいる気分を少しばかりは味わうことができるのだろうか?

 ただ思い付きを書くだけではあまり面白くもないので、少しばかりは実用的なことも考えてみることにしようか。

 例えばロボットのコスプレやロボキャラを演じたいと感じた際、オイルジョッキから麦茶を飲めば周囲の人間からはオイルを飲んでいるように見えるのではないか?

 やりたい人はやってみてもいいかもしれない。

 ちなみに、僕が持っているカインズで買ったオイルジョッキの説明書には「飲料を入れるな」と書かれていたので、まずはそのような注意書きのなされていないジョッキを見つけるか、もしくは説明書作成者の親切心を脇に投げ捨てて強行してしまうかのどちらかを行うとよいでしょう。

 

corvuscorax

 

下書きは投稿する前に見返した方がいいかもしれないなぁ

8月20日

タイトル付け力

 最近思うことがある。

 前々から自分自身の”タイトル付け力”的なものの不足を呪っているわけだが、タイトルの言葉選び等のセンス云々は勿論として、そもそもその日記の内容を代表している部分ではないところをタイトルにしてしまっていることがあるという事に最近気が付いた。

 例えば、日記の最後4行くらいにちょろっと書いた部分を言い換えたものをタイトルとしてしまっていたりするわけである。

 本文の6割を占める内容を無視して、最後の出がらしのような情報に重みをつけてタイトルをつけてしまうというのは果たしていかがなものか? あとから日記を検索するときに不便で仕方がない。

 

 というわけで今後は従来よりもほんの少しでもタイトルの付け方について悩む必要があるのではないかと最近思っているのである。

 では具体的にどうすべきかという問題になるわけだが、まず下書きを読み返さずにとりあえず投稿して、投稿された日記を読んで後から修正する癖を修正するべきなのではなかろうかと思い至った。

 というのも、おそらく僕は日記のタイトルをつけようとするときに文末に引っ張られすぎている。だから、最後に無理やり文章をまとめるために適当こいた文章に重みをもたせてタイトルをつけてしまうのではなかろうか? 以上のことから、書き終えてから全体を読み返せばまだましなタイトルをつけることができる可能性があると考えた。

 ワードセンスを磨くのは時間がかかることだが、タイトルの”根”を適切に本文から抜き出す力は訓練すれば多少はできるようになるのではないか?

 

 というかそもそも、いくら個人的な日記とはいえ見直しをせずにインターネットに投稿してしまうことが直観的に正しくないことは流石の僕にもわかる。

 タイトル云々に関係なく、投稿前に見直しする時間をとることにしようと思った。

 

手ぇ切った。いってぇ~……

 ぶどうジュースを飲もうと思い、自宅1階からグラスを持ってきた。おそらく我が家で十数年使用され続けている、デフォルメされた犬が描かれている取っ手付きのグラスだ。

 それを持ち、2階の冷蔵庫を目指して階段を上がる。

 途中、なんかボーっとしてしまっていたようで壁に激突してしまった。その際、持っていたグラスが割れ、左手を負傷してしまった。割れたガラス片による切創である。

 左手親指の付け根と人差し指の付け根の中間、生命線・頭脳戦の根元をざっくりV字に切れ込みが入っている。

 洗浄し、消毒し、キズパワーパッドを貼る。

 いってぇ~。

 

※痛みを紛らわすべく日記を書き投稿しようとしたのだが、なぜか不能。調べてみるとはてなブログはメンテナンス中とのことだった。こうゆうのって誰かが実際に何かしらの作業を行っているのだろうか? お疲れ様です。

 

corvuscorax

 

雨の日の優しさ

8月19日

 眠いが日記を書くことにした。

 

 本日朝はブドウを買いに行ってきた。

 僕の地元はブドウがそれなりに名産品として扱われており、車で20分も走れば果樹園の直売所にてブドウを購入することができる。

 僕は昔からブドウが好きで、アイスもガムもブドウ味のものしか基本的に食べないほどだ。

 一番好きなのはデラウェアなのだが、曰くもうシーズンが終わってしまったとのことで、代わりというわけではないが巨峰を購入してきた。巨峰は巨峰でとてもおいしい。

 

 昼はいよいよ咳と決別すべく病院へいった。

 レントゲンとCTを撮影したが、大腸に便が溜まっていること以外は特に問題なしとのことだった。肺炎というわけでも喘息というわけでもなく、コロナのフォロースルーが延々と僕を苦しめているというだけのことだったようだ。

 いろいろ薬を処方してもらったら、今回初めて”貼り薬”を使用することになった。

 気道を拡げる薬のようだが、胸・背中もしくは上腕に張ってもいいようだ。いったいどうゆう仕組みなのだろう?

 

 夕方には車で1時間ほど走り、行きつけのインド料理店でカレーを平らげた。

 無性にナンが食べたくなる時が誰しもあるだろうと思うが、本日その波が僕にも訪れたというわけである。

 パンプキンカレーを食べたのだが、これが甘くておいしいことおいしいこと。甘いといっても砂糖とかそうゆうお手軽な甘味ではなく、カボチャや玉ねぎから引き出された手の込んだ甘味である。それをインド料理店のでっかくてパリパリのナンと一緒にいただくわけである。

 食後にはラッシーを飲んで、マンゴープリンを食べる。

 これはおそらく、六道における人間道の世界の中に於いて指折りの幸せであるに違いない。

 

 カレーを食べていたらしきりに雷雲が轟きはじめて、しばらくすると大粒の雨が降り始めた。天気アプリを確認したところ暫らく止みそうになかったので、とりあえず退店して車に乗ることにしたのだが、快いインド料理店の店員さんが傘をさして車まで送ってくださった。

 僕はその行為にひどく感動してしまった。恩返しというわけではないが、今後もカレーが食べたくなったらこの店を利用することを心に決めた。

 

corvuscorax