4月27日
今朝出勤前に立ち寄ったファミマに傘を忘れてきたなぁ。
そんなことを思いながら午前中を過ごしたのだが、昼休みにロッカーを開けたらそこに傘があった。
どうやら傘を忘れてなどいなかったらしい。
というかよくよく思い出してみると、そもそも本日は小雨であった為かそのファミマに傘立ては設置されていなかったので忘れようがないのである。(最悪レジに忘れるとかもありうるが、今回は免れたらしい。)
なぜ傘を忘れたという勘違いをしていたのかといえば、それは勿論日頃の行いが良くないからである。
僕は常日頃から忘れ物と共に生きているため、脳内で持ち物を確認したときに見つからなかったもの(どこに置いたか定かでないもの)はすべて「どこかに忘れてきたのだ」と推定する癖がついてしまっているのだろう。
まず自分に言っておきたいのは「ボーっと生きてんじゃねぇよ」ということだ。僕は自分の持ち物に対してもっと気を張って生きるべきなのである。
最悪、傘は多くの人が忘れがちなものであるからまだいい。しかし財布やスマホや家の鍵を忘れるのは、流石に自分でもどうかと思う。
ここまで忘れ物が多いことに一応の言い訳というか、理由らしきものを与えようとすれば一つ思い当たることがある。
家から出るときの忘れ物限定ではあるが、僕は出かける直前に持っていくバッグを変更することが多いのである。
玄関まできて「やっぱ今日はリュックの気分じゃないな」となり、ショルダーバッグへ荷物を入れ替えたりしてから出発するみたいなことが多々あるのだ。
この作業が僕にとって危険であることは間違いない。卵の一件からもわかるように、バッグへ詰め込む対象物が目の前にあったとしても僕がそれを確実に詰め込むとは限らないのである。
この悪癖を正せば、一つリスクが減ることは間違いない。
しかしながら、それをしたとしても僕自身が忘れ物しがちである事実は確固たるものであり、問題の根っこは解決に至っていない。
正直なところ、僕はこの点について僕自身を完全に見限っており、この問題の根っこを解決することは僕自身の自助努力では不可能であると思っている。
意識の外で起きることを意識で弄ることはできないのだから、意識の外側たる他者に何とかしてもらおうと他力本願に生き始めている。
corvuscorax