「携帯電話は好きですか?」
こう聞かれると僕は「嫌いだ」と答える。ひねくれてるから。
「携帯電話は便利ですか?」
そう聞かれれば僕は素直に「はい」と答える。僕は正直でありたいから。
携帯電話とディストピア(妄想ですよ)
ほぼすべての国民が携帯電話などの情報端末を個人的に所有するに至った現代において、それらを携帯しない人は古生物のような存在だ。今後も便利と必要の大波に浚われて、彼らのような存在はどんどん減少してゆくことだろう。
電子機器の携帯は現状法律で規定されているわけではないが、遠い将来には何かしら自分の情報を代替した電子機器を携帯することが義務とされてゆくのかもしれない。その時その主権下で電子的古生物は乱獲されて絶滅することだろう。
そして、誰もが常に何かに接続されている状態が人間の自然状態と定義され、それが体現される。
大多数の便利と必要の要請が人間の自然状態を変えていく。これが人間の進歩の形なのだ。
進歩の結果、人間はすでに自分達本来の”自然”からかけ離れた存在になっている。服を着ずに社会活動を行うことが猥褻であり犯罪であるとされているように。
そもそも人間が「自然」と呼ぶルールやマナーなどヒトの外側を包む薄皮に過ぎないのだ。場所が変わればルールは変わるし、文化が違えばマナーも変わる。人間の自然はその共同体の人間の都合でどのような形も取りうる。事実、現代においても「マスコミを受け入れず公開処刑をいまだに継続している”文明国”」も存在する。そう思えば上記のような自然は普通に実現しうるだろう。
常識のいかに儚いことか。
現実に目を向ければ、携帯電話類を所有することが最低限の社会性であることを示すように、その所有を最低限としたルールが構築されつつある。例えば、自分であることを証明する必要がある手続き等に用いられる種々の書類は「私」を示す要素として電話番号やメールアドレスを要求してくる。
「電話番号を伝えること」が私であるということの証明の一角となりうるほどに、それらはすでに情報としてそれなりの地位を確立しているということだ。
携帯電話と私
2年位前、その頃の僕は携帯電話を意識的に自分から遠ざけるようにしていた。一度携帯電話を床にたたきつけて壊そうとしたことすらある。携帯電話が僕の頭から離れなくなってしまうことが怖ったからだと思う。
僕たちにとって携帯電話はもはや癒着といっていいほどに親和し、一体化しているように思える。
知らないことがあれば検索し、不安なことがあれば相談し、良いことがあれば共有する。要は人間はクソでかい目・耳・口を手に入れて、それを自然なことと認識し始めている。電車やイベント会場などで手元を忙しく動かしている人たちを見て、携帯電話という視聴覚拡張デバイスが生きるという営みの深い部分にまで根付き始めていることを感じる。ちょっと前の僕は、きっとそれが怖かったんだろう。
珈琲
今日は実家とも現住所とも遠い喫茶店にきて日記を書いている。割引券をもらったからだ。
全体的に照明は暗め、ただ活字を読むには十分な照度が保たれている。カウンター奥の壁面には様々な柄のコーヒーカップが大量に置かれていて、見ていると楽しい。窓からは中庭が見え、中庭には枯山水が敷かれている日本庭園だ。コーヒーを提供する喫茶店だが、全体的に和の雰囲気の落ち着きが漂う。
コーヒーは結構好きで、以前も書いたような気がするが、平気で一日6杯とか飲む。これが多いか少ないかはよくわからないが、全く飲まない人もいることから考えるに多分多いほうの半分には入るはずだ。
家でもよくコーヒーを淹れる。さすがに「生豆をローストして」とまではいかないが、焙煎所を選ぶ程度のこだわり度でコーヒーを楽しんでいる。
以前は様々な抽出方法を試していたのだが、最近はハリオ式のペーパードリップばかりだ。気力と暇があれば、今度久々にサイフォンで入れてみようかな?
corvuscorax
今日の鳥 姉の飼っているオカメインコ
白がナツさん、色付きがカズ君 どっちも懐っこくてかわいいやつらである。
よく歌ってしゃべる方 踊りはあんまりしないかな?なかなか家に入ろうとしない元気な奴だが、歌を歌わせて上機嫌にさせると「今までの抵抗は何だったんだよ!」と言いたくなるほど素直に入っていく。簡単な性格である。
白いほう。真っ白なオカメってあんまり見ない。よーーーく見るとほっぺのところの羽は周囲の羽より細かいものが生えている。色が白いだけで、生えている羽の種類は同じなのだ。ちなみにこの子は不器用で、僕の目から見る限り羽繕いが下手。