4月29日
給料日と支払期日が同時に迫る、恐ろしい時期。それが月末。
例によって今月もその時期が訪れたわけだが、給与によるほのかな喜びと支出による虚しさで心がかき乱される。
これは自慢じゃないのだが、僕の貯金額は百の位で四捨五入すると0円になってしまう。
毎月ギリギリで持ちこたえる(たまに持ちこたえない)自分の口座を見ると、「よくぞ持ちこたえた!」と少し誇らしげな気持ちになる。
が、ギリギリの生活であることは確かなので何とか是正したいところではある。
僕は貯金ができない
その通り。僕は貯金できない人間である。
この二十数年間で僕が貯金した最高額はおそらく3年前の5万円だ。現在に至っては先述の通り、ひどい有様である。
物価が上がるこの時代に貯金は不利とは言われているが、それをおいてもさすがに貯金がなさすぎるのではないかと不安ではある。
貯金は生物として、かなり高度な営みであると思う。
まず前提として、貯金を行おうとするためには金を持つことが自身の生存にとって有利な環境であることが必要である。
その環境とは政治経済に代表されるような人間自身が作り上げた社会であり、それを機能させることを可能にする社会性がまず前提として備わっている必要がある。
そしてこの先も貨幣制度は失われず、金を持つことが生存にとって有利である状況が少なくとも自分や数代先の子孫が生きているうちは続くということを理解する必要があるのである。
これは人間という種全体がそれなりの知性を持たねば成り立たないものであり、貯金を行う前提である社会制度という仕組みを作り出したことそのものが、ヒトという種が生み出した高度な営みであると言える。
その上で人間の貯金能力には差がある。僕のようにまるっきり貯金ができないタイプの人間もいるし、しっかり貯金ができるタイプの人間ももちろんいるのだろう。
貯金することは生きる理由を未来に置くということだと言える。現在の価値に重きを置きすぎてしまうと貯金などできないのだ。
正直僕は将来設計など一ミリもしていない。
あいにく僕は計画が苦手なもので「何年後にあれして、これして、これもしなきゃな」と考えることが苦痛で仕方ない。そもそも、1か月の資金計画を立てられない時点で年単位の計画を立てようなど土台無理な話で、仮に思い立ってその計画を立てたとしてもうまくいかずに破綻することは目に見えているのである。
まずは1日の予定を立てて、それを実行できるようになる。それができて初めて、月単位の計画を立てられるようになるというものだろう。
貯金するためには人間としてのレベル上げが必要なのである。
僕に貯金はまだ早い。
corvuscorax