渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

高速道路の良さ①

 高速道路って良いですよねぇ~、早いし、でっかいし、有用だし。そんなことを言った気がする。

 そして高速道路の良さはそれだけではないみたいなことも言った。 

 

 高速道路の良さは、なんといっても速く走れるということ。通常許されない行為がゆるされるという特別感。普段抑圧された欲望がここなら開放できてしまう。特別感・解放感・全能感。それらが混じりあった「おれつえー」感みたいなものを感じてしまう。ふわっとした意見になるが、自分の内部に元からある何かを刺激される何かが高速道路にはある。

 

 そして高速道路は一目見ればそこが高速道路であるとわかる特徴的な外観を持つ。外見の特別感がある。それは神社や神殿などの施設と近い特別感で、交通という文化の色を濃く帯びて見える施設が高速道路であるということである。つまり高速道路は「善」である。「道路というものの目指すべき方向性をを突き詰めていくとああなるんだろうなぁ。」という究極を感じる存在。

 あとどう見ても「無理だろ!」って感じの場所に道路が通っているのが単純にすごい。上信越道群馬県内とかすごい。

 

 あと、普段は入ることができないという点も魅力的だ。高速道路に立ち入るためには自動車が必要である。生身で高速道路上を歩くことのできる機会はそう多くはない。これも神社とかと近い神聖さを感じさせる。高速道路上はもちろん人が立ち入ってはいけない。古くは恐れられる存在を神とよんで崇めていたらしいが、その名残が残っていて、人間が入ることのできない領域である高速道路を神聖視してしまうことは納得できる。

 

集中力が切れたので今日はここまで。

 

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