渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

最近、頭痛が激しさを増しています。

5月10日

 最近の個人的流行はYouTubeで音楽を聴くこと。

 特に外国人がミキサーを弄る動画を背景にオシャレで小気味よいリズムの曲を流している動画をよく見る。

 自分は音楽がそれなりに好きだが、それにノリノリになるのはちょっと堪忍。自意識が破壊されて中身が飛び出てしまいそうになってしまう。

 何度か知人に連れられて音楽ライブに行ったことはあるのだが、正直なところオペラのように(といってもオペラを見に行ったことは無いので、ひょっとするとオペラもノリノリで見る文化かもしれないが)席に座ってゆっくり聞きたい。

 そしてできることなら各座席に品質の良いヘッドホンを備えてもらい、また手元にミキサーを置いてほしい。

「この曲のこの楽器のこのパートが好きなんだよ!」

 そうゆうフレーズがだれしもあるだろう。そんなとき、収音するマイクごとに手元でボリューム調整ができればそのパートを存分に楽しむことが出来るではないか。(ひょっとするとそうゆうサービスが提供されているかもしれないのであとで少し調べてみることにする。)

 そんな奴はライブに行く必要が無いと数回目のライブで悟り、それ以来誘いを受けても断るようにしている。

 どうやら同行者としてはノリの悪い人間の隣にいるのは少し恥ずかしいらしく、そうゆう事なら僕をつれて行かない方がお互いに幸せだろう。

 以前「周りの人たちが起立したり、手拍子をしている中で座って音楽を味わっている方が恥ずかしいよ。」という旨の指摘を受けたことがあるのだが、正直周りの人間がどう思っているかどうかは僕には関係ない。僕が恥ずかしいと思うことを僕が避けたいだけだ。

 

頭痛が治りませんが

 ここ数日ずっと頭が痛い。

 もともと頭痛持ちではあるが、それにしてもここ最近の頭痛は通常ではない。

 痛み止めを飲んでみたら頭痛は収まったのだが、今度は吐き気がする。いったいどうしろというのか。

 こう頭痛が続くとストレスが溜まってきて、勢いで普段はしないことをしてしまったりする。

 

 痛みで冷静でいられないときは、なるべく何もしないことが大事である。

 ただでさえストレスがかかっている状態で更なるストレスを抱え込もうとすると当然平常時よりも早く限界が訪れて不必要にカリカリしてしまったりするし、そんな状態で人と関わろうとすると普段は全く気にならない相手の一挙手一投足が目に付いてしまう。そこで感情が理性の壁を越えてしまえば、後に待つのは険悪な雰囲気だ。その雰囲気はさらに自身と相手に負の影響を与えてストレスの発生を助長する触媒となる。

 そんなスパイラルにあえて身を投じる必要はない。

 どうしても必要な行動のみ実行して、後は何もしない。ゲームも読書も、普段楽しんでやっていることも何もしないで寝る。

 痛みが引けば、また生活を楽しむことが出来るようになる。そうゆう願いを込めて俯せでベットに倒れこむのだ。

 

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