渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

今週のお題「きれいにしたい場所」 

今週のお題「きれいにしたい場所」

 はたして、場所と呼んでもよいものかどうかわからないのだが、やはりきれいにしたい場所の定番と言えば「心」なのである。

 

心をきれいにしたい

 何者かと関係を持っている人間ならばだれしもがそう考えるものだと思うのだが、もちろん僕自身その例外ではない。

 心をきれいにしていれば大抵のものはきれいに見えるものであるし、身の回りも自動的にきれいになっていくものだ。綺麗は心が作るのである。

 ただし、そのために何をすべきなのはなかなか悩ましいところである。

 「キッチンの油汚れが目立つからきれいにしたい!」となれば具体的に何をすべきかも見えるし、「デスク上をきれいに保ちたい!」となればそのための工夫などはいくらでも思いつく。

 しかし心をきれいにしようとして、いったい何をすべきなのか?

 人助けか? 募金か?

 しかし果たして、「心をきれいにしたい」という欲望でもって行われた慈善活動は(その成果はともかくとして)いったいどれほど意味があるのだろうか?

 結局、とりあえず善く生きようと決意するくらいが関の山なのであった。

 

心がきれい

 ところで、心がきれいである状態とはいったいどのようなものか。

 それは答えのない問であり、人の数だけ答えがある。ひょっとすると人の数以上にたくさんの答えが存在するものなのかもしれない。

 

 他人から心がきれいだと評価されたいと願うのか、自分自身で心がきれいだと満足したいのか。そのどちらも自分自身の満足感のための行動ととらえれば、そもそも自身の心がきれいであるという状態を自分自身は知ることができないのではないか?

 きりがない泥沼の様相を示す話題である。

 

 この日記上でこれ以上そこに踏み込むことはしない。

 それを知るには他者の視点を導入し、他者と議論を交わすことがどうしても必要になるからだ。

 他人の心を知ることができない以上は観測によってそれを予想することしかできないわけだが、他者が存在しないきわめて個人的な場である日記においてそれができるはずもない。

 心を関係のための機能であると捉えるならば、心の問題は誰かと話し合わなければ解決への道は開けないのである。

 

再開二日目

 日記を再開して晴れやかかな気持ちで迎えた今日の朝(13時)。目が覚めると首が痛かった。寝違えたのである。

 冬眠前最後の日記が「寝違え」について言及されたものであったことを思い返すと、僕にとって「寝違え」は曰く付きの現象であると言える。

 単純に不快な鈍痛であることに加えて、不定期に繰り返すという性質を持つことによって大きなストレスの素となるこの痛みをどうにか有効活用できないかと考えながら歩くが、その思考すら中断せざるをえない痛みであることがまた悩ましい。

 首筋を襲う「寝違え」の痛みは激痛というほど存在感はないが、無視できるほどには小さくない痛みなのである。

「いっそのこと天井知らずの激痛であれば仕事も休めるのになぁ。」

 僕の頭の中のサボローたちがそんなことを話し合っているように思える。

 よほど居心地が良いのか、頭に住み着いたサボローたちは中々僕の頭の中から出ていこうとしない。困ったものである。

 

スタバとのり弁

 今日の夕飯にスタバとのり弁を摂取したので報告する。

 

スタバ

 スターバックス。シアトルスタイルのコーヒーショップで一番有名と思われるブランドで、なんとなくオシャレなイメージがある。

 

 僕はスタバを「オシャレのジャム」と呼んでいる。

 僕のような「万年ジャージnotオシャ」からすればスターバックスはこの世のおしゃれを煮詰めて凝縮したジャムのようなもののように感じられるのである。

 僕はよくカフェモカを飲むのだが、様々なチェーン店のカフェモカの中でスタバのカフェモカが最も好きだ。

 なのでカフェモカが飲みたくなった時には毎回ちょっとした罪悪感を腹に抱えながら(前述の通り、notオシャなので。)、もちろんテイクアウトで(前述の通り、notオシャなので。)カフェモカを購入するのである。

 

 本日はカフェモカを飲みたくなったので近場のスターバックスでカフェモカを購入した。

 この手のコーヒーショップにおいて最難関と言えるのは注文方法であるが、テイクアウトのカフェモカだけはよどみなく詠唱することができる。

「ホットのカフェモカ、グランデサイズでテイクアウトお願いします。あっ袋いりません。」

 以上を唱えるだけでよいのだ。フラペチーノは僕にはまだ早い。

 

オリジン弁当

 おなかも空いていたのでオリジン弁当に立ち寄る。

 最近「のり弁」を食べることができるようになった。

 昔は鰹節としなしなの海苔が苦手だったのだが、ここ最近はむしろしなしなの海苔を好んで食べるようになった。コンビニでおにぎりを買う時も、あらかじめ海苔がまかれているタイプのものを好んで購入している。

 今日ののり弁は唐揚げだった。値段もおいしい。400円でおなかが膨れるのだから、こんなにうれしいことは無い。

 

 ところでスタバのカフェモカは600円弱。のり弁よりも飲み物一杯の方が高いのである。ただしカフェモカは十分おいしいので文句はない。

 個人的にはなかなか充実した夕食だったと思う。

 

首が痛い

 冒頭にも触れたが寝違えて首が痛い。実は先週も寝違えている。

「ひょっとすると寝違えが流行っているのかもしれない。」

 いや絶対にそんなことは無い。

 おそらく枕を筆頭に、寝具が体に合っていないのだろう。

 最近ショッピングモールに行くとオーダーメイドで枕を作ってくれると謳う専門店をよく見かける。行ってみてもいいのかもしれない。

 弓が趣味の身として、寝違えは物見の深さに関わる重大な問題である。

 遅かれ早かれ手を打たねばならないだろう。

 

corvuscorax