本日2024年4月7日、東京都町田市の天気は晴れである。
数日前から川沿いに建つマンションのエントランスポーチへツバメが飛び込んでいく様子を目撃するようになりました。繁殖の季節がやってきましたね。
近所の電柱にはカラスの巣もできて、鳥たちのベビーブームの予感がします。
ツバメ
ツバメの巣
ツバメと言えば(そのかわいげのある容姿は勿論のことであるが)中華料理の高級食材?として有名な「ツバメの巣」のことを思い出す。
しかし、あの「ツバメの巣」は僕たちが良く知るあの「ツバメ」の巣ではなく「アマツバメ」の巣なのだとか。
ツバメとアマツバメは名前こそよく似ていますが、両者はそれぞれスズメ目とアマツバメ目に分類されている全くの別種だ。
単純に哺乳綱に置き換えてみれば霊長目と食肉目、つまりヒトとイエイヌ、あるいはイエネコくらい違うことになる。
分類
生物の分類方法は時代によって変化(進歩)してきたらしい。当初はその生態や形質によって主観的な分類がなされていたが、現在は遺伝子によって分類を行う方向へ大きく舵を切ったのである(分子生物学)。
そしてその新たな生物学は、従来同種とされていたものを分ち、また別種とされていたもの同士が近縁であることを暴いたのだ。
分子生物学の台頭よって、生物の系統樹は大きな変更を余儀なくされた。
例えばハシビロコウは和名の末尾に「コウ」が付けていることからわかるようにコウノトリの仲間に分類されていた鳥だが、遺伝子を調べたところペリカン目に含まれることになったのだとか。(ちなみにペリカン目は鳥綱において、分子生物学的分類への転換時に大きな変化があったことで有名らしい。)
それと同様、おそらく生物学という科学が広まる以前にアマツバメはツバメに似た形質からそう名付けられたということだろう。
これが波及して、食材としてのアマツバメの巣は「ツバメの巣」と名付けられて現在に至るというわけである。
人々の記憶や文化に根付いた事柄はそう簡単に変わるものではないのである。
※(個人的に)最もインパクトがあったのは、イルカクジラ類がウシ科と近縁、特にカバに最も近い種であることが判明したことだ。つまり水中を自在に泳ぎ回るバンドウイルカは当然蹄を必要としないわけであるが、そのルーツは偶蹄目(現在は鯨偶蹄目と改称されているとか)なのである。一部骨格にその名残(二重滑車構造)が残っているらしい。
それはさておき、「ツバメの巣」はいったいどんな味がするのだろう?
一番有名なのはおそらくスープだが、どこに行けば食べることができるのかを知らない。横浜に行けば食べられるだろうか?
一度は試しに食べてみたいものである。
スターバックス
今日もスタバに行ってみる
昨日の日記で「フラペチーノはまだ早い」と言ってみたものの、いや言ったからこそフラペチーノなるものを飲んでみたくなった。というわけで、今日も夕方にスターバックスへ行ってみたのである。
入店時に受けるプレッシャーを鋼の意思で跳ね除けてレジカウンターへ向かう。
日曜ということもあるのか店内は少々混雑しており、注文口にも数人の列が形成されていた。
ちょうどよい、フラペチーノなるものには数種類あると聞く。今のうちに好みそうなメニューをチョイスしておこう。
レジ上に掲げられているメニュー表へ目を移すと、3つの黒板の内で最も右側に位置するものにフラペチーノの一覧表が書かれていた。
この中で一番好きそうなのはどれだろう?
目に留まったのはバニラクリームフラペチーノ?(うろ覚え)である。ガストのドリンクバーにあるバニラオレと似たようなものだろうか? 期待が高まる。
列が徐々にはけ、ついに自身の注文番が回ってきた。
「いらっしゃいませ。ご注文お伺いいたします。」
店員さんは丁寧な笑顔でそうこちらに問いかけてきた。
改めてメニューブックへ目を移す、あったこれだ。バニラフラペチーノ。これのでっかいやつを頼もう。
視線を上げ口を開き、舌の位置を「バ」にセットした瞬間「これってホットとコールドの区別があるメニューなんだろうか?」という疑問が湧く。
個人的にはホットだったらうれしいが「ホットで。」と注文した後で「申し訳ありません。フラペチーノはコールドのみの提供になっております。」と言われてしまったらどうしよう。もっとしっかりメニューを見ておくべきだった。
しかしもう時間がない、早く注文しなければ後ろに伸びる行列への示しがつかない。彼らとはこの後も数分同じ店内で過ごさなければならないのだ。
いくら持ち帰りと言えど、注文から商品提供までは店内で待たなければならない。その数分のあいだ、まごついた注文をして流れを滞らせた罪悪感に果たして耐えることができるだろうか?
こうしている間にも時間は過ぎていく。
「ありがとうございましたー。」
右手にカフェモカのグランデサイズを携えた僕は店を出た。
反省
いや、わかっているのです。「聞けよ。」と。店員さんに聞きなさいよと。
よしんばそれができずとも、せめてもう一回メニューに目を落として確認してもよかったじゃないか。
なぜ見切りをつけて、いつものやつを注文してしまったのだ?
くだらない自尊心などかなぐり捨てて「バニラのフラペチーノ、ホットで。」と言ってみればよかったのに。
別に間違ったっていいではないか。
教室は間違う場所、そしてこの世の人間の大半は教室を経て今に至っているのだ。スタバは教室ではないが、人間だれしも間違いを乗り越えて生きているのである。
「聞くは一時の恥、知らぬは一生の恥」
おそらく今回スタバの店員さんに質問ができなかったこと自体は一生の恥にはならないだろうが、聞くことができないこのマインドは一生モノの恥へと順調に成長しているのである。
今度は事前に調べてから再挑戦したいと思います。
復帰後の日記を読み返す
ここ二日間の日記を読み返してみたが、誤字脱字が多いことが目に付く。
謎の空白中見出しが生成されていたり、訂正したと思っていた文章が訂正前の状態のままだったりと所々に粗がある。
やはり久々にはてなブログに触れたものだから、見出しやタグの付け方や段落の組み方がわからなくなっていた。
空白見出しは操作ミスとして、修正した文章はなぜ修正前のまま公開されてしまったのか?
謎である。
とにかく起きてしまったことは仕方がない。幸いこの日記はデジタルであるから、修正すれば何とでもなるのである。
今日はそれらを修正して眠ることにする。
corvuscorax