渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

新宿にて友達と呑む

 昨日、友人と酒を嗜んできた。そう、嗜んできた。

 

 確かに僕は比較的”終わっている”側の人間で、度が過ぎた忘れんぼ。歩いた後には後悔の川が流れ、行く先には反省の山がそびえる。到底「嗜む」などという高尚な愉しみを享受できるような立場ではない。

 

 しかし昨日は上手に酔うことができた。目も回らなかったし吐き気もなかった。記憶もある。快挙である。

 

酒 僕の中身のよっぱらい

 僕は酒を飲むと、ひどい。

 たいていの場合、度が過ぎる飲酒によって記憶喪失・視界不明瞭に苛まれて平衡感覚を喪失し、吐き気との闘いを演じることになる。

 視界は白くぼやけ、明確に目が回る。その目の回りようときたら、両眼の中点を中心として左目は下を、右目は上を向こうと円運動をしているが如き感覚である。その円運動は僕の意識を身体の中で振り回し、その成果として僕の胃をきつく絞るのだ。

 何とか帰ってきても(どう帰ってきたか覚えていることは少ない、でも毎回家には帰ってきているので偉い)、床に伏してそのまま寝てしまうことが多いらしい。「らしい」というのも、そのような体たらくだった事を同居人に聞いて初めて知るためで、酒飲みの自分ときたら自身の泥酔について一切の自覚症状が無い厄介者なのである。

 

友達

 昨日新宿で酒をのんだ友人たちは、高校時代の部活繋がりの者たちだ。1年ぶりの集合とあって当初はなかなか緊張したものであるが、話し始めてみればやはり楽しいもので、月並みな感想を申し上げれば「あの頃に戻ったよう」だった。当時の考え方や外見から変化あった者・変わらぬ者それぞれであったが、それでも彼らのユニークさは失われず当時の連帯感を取り戻させられた。

 友人も、もちろん僕も、この数年で大きな変化をそれぞれ経験した。もはや高校生ではないことはもちろん、大学生ですらない僕たちは、いまだに互いを友人として認識して赤の他人よりも大きな安心感を各々が形成する。

 度重なる変化を経て、もはや別人と言えるほどに変化してもなお、やはり僕には彼らが友人に見えるのだ。

 不思議である。僕は彼らの何を見て友人と判定しているのだろうか?

 

 ひょっとすると、僕は彼らの何をも見ずに友人と判定しているのかもしれない。

 僕が見ているのは彼ら自身ではなく、彼らを”彼ら”だと認識した時に僕の脳内に生じる”彼ら”のイメージなのかもしれない。そう思うと多少納得がいくとともに、少し落ち込む。

 僕は彼らを好ましいと思っているが、僕は彼らを見ていない。そんな失礼で一方的な交友が許されてなるものか。そのような不道徳な行動をとる自分は途方もなく失礼な奴である。

 であれば、可能不可能の別はひとまず置くとして、今後はできる限り彼らの「今」に寄り添うことのできる友人でありたいと願うのだった。

(まぁ中には昔のイメージのままで接してほしい者もあるやもしれぬので、一概にそうあるべきであるかと問われれば答えに窮するところである。 あぁ、友達付き合いの難しいことよ。)

 

corvuscorax