渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

始めました。お手柔らかに。

ついに始めてしまった。

ツイッターすらやっていない僕にとって初めての情報発信だ。なぜ今までインターネットに情報発信をしなかったのかといえば、それは怖かったからである。僕のインターネットに対する印象は、一言でいえば「なんでもありな無法地帯」。犯罪も良心もすべてが存在する人類史上最もカオスな場。そんな中に飛び込む勇気はどうしても湧かなかった。

 皆、アカウントという現代風の仮面をうまく使いこなしてネットの海に自分の破片を放流している。でも僕にはできなかった。仮面をうまく作ることができなかったのだと思う。自分の作る仮面には、自分の面影が残り続ける。自分の仮面を作るということは、ジャガイモを均等に切ろうとしてどんどんどんどん小さくなっていってしまうような、どこで終わればいいのかわからない作業だった。

 ようやく仮面らしいものを作ってみても、発信しようとする事柄、そこに宿る魂のようなものは紛れもなく自分自身に感じられた。これをネットの大海に放流して即座に捕食されようものなら、この世界そのものに対する恐怖がさらに増してしまう。自分自身の魂から引きはがそうとどんなに編集しても、この粘り気のある自分の魂はまとわりついてくる。勝手の悪い魂ではあるが、それを失うのがたまらなく怖かった。

 自分のインターネットに対する恐怖についてほかの恐怖感に言い換えるならば、おそらく背後に対する恐怖が一番近い。自分の目が届かぬところで何かしらの現象が起きている。もしかしたらそれは自分の生存を脅かすものであるかもしれない。知らないものには怖いと感じるものだが、その無知の恐怖の中で最も身近なものが背後であるということだ。

インターネットに自分を存在させてしまうと、無限の他者の視線によって生まれる暗鬼が、形而上に無限の背後を作り出してしまう。そんな気がするのだ。なんという恐怖。ただでさえ地獄の様なこの世の中が煉獄へ変わる。

 

 というのは一昔前の話。今はそのような恐怖感は多少やわらぎ、ネットに姿を現してみようかな?という気になってきた。やっぱり僕も現代人。恐怖をさておいてもつながりが欲しくなったのかもしれない。

文章力はまだまだ稚拙だけど、続けていくうちに上手な文が書けるようになったらいいな。

 

corvuscorax