渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

昼間に思ったことなど夜には忘れるものである

5月14日

 今日は休みという事で、

 本日買うべきものは薬局・ペットショップ・銀だこ・31を巡ればすべて解決するのだが、車で20分ほどの場所にあるショッピングセンターにすべて内包されているという事で、そのショッピングセンターまで車で出かけてきた。

 今日購入するもの中の本命は31である。

 今月末まで、トリプル~~を注文するとそれに追加する分のアイスクリームが合計10個まで100円になるというキャンペーンを実施している。10個で1300円ほどだ。

 それを享受するために今日は家を出た。

 

 買い物を済ませて帰ってくる頃には夕方だった。夕方の時間帯に屋外に出たのが久々だったため、6時近くなのにこれほど明るいことに驚いた。

 そうか。今はちょうど春分夏至の中間くらいの時期なのだなぁ。これからどんどん日が伸びて、また気温が上がってくるのだ。

 また暑い日々が来るのかと思うと少し憂鬱になった。

 

土産理論

 昼間に買い物をしているときに何か考え事をしていたのだが、夜日記を書こうとするとそれについて一切思い出すことが出来なかった。

 ちょっともったいない気がする。

 日記は1日を代表した僕の記憶を繋ぎとめてくれているが、それよりも短い時間の記憶は保証されない。

 1日単位で記録を行う日記の解像度では人間が忘却することすべてを拾いきることはできないのである。

 欲を言えば日中もメモを持ち歩いて、思ったことをその都度書き込むのが良いだろうが、さすがにそこまでして残したいほど自分の記憶に価値を見出してはいない。

 こうゆう時は「土産理論」と僕が呼んでいるメソッドを頼りにする。

 

 土産理論とは、無数に存在する事象をある一点で代表せねばならないとき切り捨てられる部分に自分自身が納得するための持論である。

 物流の発展したこの国において、土産物とは個人間の信頼によって成り立つ文化である。

 例えば、首都圏近郊の下り線サービスエリアに置かれている土産物に目を向ける。例えば関越自動車道三芳SA、東北自動車道蓮田SAはどちらも埼玉県に位置するが、東京バナナや横浜ハーバーを販売している。

 交通が発達し、長距離を短時間で移動することが可能な現代において、ある交通上の一点が代表する地域の範囲も相当に広くなっている。

 関東圏内の主要駅・SA・PAなどには沿線の土産物に並んで、関東全域の土産菓子が販売されていたりする。

 つまり、土産物の根(本来その土産物がそこの土産であると言える範囲の地域を”土産の根”と僕が勝手に呼んでいる。)へ行かずとも、交通網の一点を訪れればその土産物を買うことが出来る。

 「どこどこへ行った、ほらこのお土産を買ってきましたよ。」はその人がその場所を訪れた決定的な証拠にはなりえないのである。(そもそも通販がある。)

 

 日本という国が世界の中の一地域(その範囲はかなり狭い)に過ぎない以上、海外客向けに全国の土産を集積する地点も存在するわけだ。

 東京には全国のあらゆる土産物が集積している。しかし、全国のあらゆる土産物すべてを東京で販売することは難しいだろう。という事は、その地域を代表して東京で販売する土産ものを選定する予選的なものが存在するはずである。そして、そこで落選してしまう名菓ももちろんあるはずだ。

 ただ全体としてみれば、全国の代表的名菓を一点に集めるという目的は達成されているわけで、購入者はその菓子を買う時にそれらの落選した菓子類に目を向けることは無い。菓子を選ぶのに忙しいからだ。

 忘れ去られる名菓はあれども、システムは機能している。

 網羅できなくても代表点を設定することが出来れば、ある程度の意味をもつのである。

 日記とは一日を通じた自分全体であり、土産と同様に網羅的であることはあり得ないのだ。

 一日の中で記録から漏れる記憶があったとしてもそれが普通なのである。

 

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