スイカゲーム面白すぎだろ!
最近話題のスイカゲーム。僕もやってみましたが、おもしろすぎだろ!
名前だけは知ってたんですがプレイする気がなかったんですよ。最初は。
でもスイッチってフレンドが何のゲームやってるか見える機能あるじゃないですか、(恐ろしい時代である。)あれでことごとくみんなスイカゲームやってるってことが判明して少しだけ興味がわいてしまったんです。
有料であることに驚いた自分に驚くパートを挟みつつ購入・ダウンロード・プレイ。
おもしろすぎだろ!
これはよくない。面白すぎちゃってる。
時間を忘れ、言葉も忘れ、食事も忘れ。このままだと排泄も忘れ、睡眠を忘れてしまうのではないか?いや実際もう睡眠を削ってスイカゲームやってる自分がいる。ついには生きることすら忘れてしまうかもしれない。そう思わせられるほど、のめりこむことができるゲームだ。
今日も正直危なかった。
毎日日記書こうっつって始めて、三日坊主の僕には珍しく半月以上続いているこの日記。その更新すら忘れさせられるところでした。
正直何がそんなに面白いのかといわれると説明不可能かもしれません。いわゆる中毒性というやつがあるんですよ。
以下、なぜ僕がこんなにスイカゲームをやってしまうのかについて言い訳をします。
悪魔の流砂 スイカゲーム その底なしたる所以
まず触れておきたいのは「優しさ」だ。
最近自分がプレイしていたゲームはスプラトゥーンかスマブラかマリオカートか。いずれもオンラインで対戦できるゲームだ。それぞれシューティング・格闘・レースに分類される激しいゲームである。
せわしなく動き続ける相手プレイヤーを気にしつつ自分のとる行動を刹那ごとに選択し続ける。これがなかなかつらい。目を疲弊させ、脳を使う。
最近はゲームのしすぎか運転のしすぎか、はたまた年齢か?ここ数週間、夜寝る前とかになると目の前に白い靄がかかるようになってしまった。これはまずい。ドローン操縦に響く。あと負けると悔しいから心にも靄がかかる。
オンライン対戦系のゲームは僕の心身を疲弊させる。
対して、スイカゲームは?
かわいいフルーツをかわいい雲が表情一つ変えずに落としまくる、緩い雰囲気です。不気味さを感じる余地がない。音楽もずっと聴いていて疲れない耳に優しい曲。画面の色合いも動きも激しくないからゲームにしては目にも優しい。長く居座っても居心地が悪くならない環境が整えられている。
ゲーム自体も正直面白い。
あまり落ちものゲームをしたことのない僕にとって、ほかの落ちもの系ゲームは積み上げて条件を満たすと消えるものが多い印象があるため、くっついて大きくなるという仕組みは新しく映った。
テトリスやぷよぷよはいつまでやればいいのかが正直わからない。スコアを何点取ればいいとか、何連鎖できるといいとかなのか。なんというか、ゲームの技能向上に冷たい永遠性を感じてしまう。
よく漫画等で聞くような「強さにゴールは無い」ということが仕組み上体現されている。それはどこまでも強くなれてしまうという地獄だ。自分を認めることが弱さにつながってしまうのだから、ある意味自然状態に近い。野生で生きるような厳しさがそれらのゲームの楽しさに結びついているのではないかと僕は思っている。(必要なストレスという意味)
一方スイカゲームについて、少なくとも僕はそれを感じずにプレイできている。全体的に緩い雰囲気も手伝ってのことだろうが、このゲームには天井が見えている感覚がある。
テトリスぷよぷよがサバンナならば、スイカゲームは温室なのだ。
スイカゲームの続きがあるので今日はここまでにしよう
正直一刻も早くスイカゲームに戻りたい。
さきほどテトリスをどこまでも強くなれる地獄と形容したが、正直このスイカゲームの泥沼も地獄の一種だ。
ただし、僕らは地獄を見ることで安心することもできる。
これは必要な地獄めぐりなのだ。