他人のブログを読んでみた。カラフルで、写真とかいっぱい使ってて読みやすい。
対して僕はというと、なんじゃこりゃ?白黒で?文字まみれで?しかも文字には何の装飾もしてなくて?
これは少し考え物である。
これは日記であるからして、たまーに誰かに監視されている実感があればそれでいいと思っていたが、これではあまりにも日記すぎる。せっかくブログというプラットフォームを利用して日記を書いているのだから、多少はブログっぽくするべきなんじゃないだろうか?
せめてものブログっぽさを演出するためにアンダーラインや太字を使い、字に色を付けてみた。
ん-、これじゃない感はあるけども、まあ今までよりはブログか。今後こういった機能が存在するということは留意しておくとしよう。
SNS
僕はSNSが苦手だ。
SNSそれ自体ではなく、SNS上で自分が行動することが苦手なのだ。タイトルにも書いた通り、僕はいつまでたっても他人の投稿に「いいね」ができなかった。いや「いいね」を押すことはできるんだけど、「見ました」以上の意味を込めることができない。それでも「いいね」をしようとするとどうなるかというと、タイムラインに上がってきた知人の投稿すべてに「いいね」をつけるしかなくなってしまうのだ。
特定の投稿にのみ「いいね」をしていると、その傾向が「僕の概念」を他者の中に形成してしまう。僕の「いいね」の傾向それ自体は僕ではないのに、それがあたかも僕であるかのように他人の中をはい回る様を見ていられなかった。それは僕のぼやけた輪郭を5km先から肉眼で見ようとするような無謀な行いであり、それで僕の評判が良くも悪くもなり得るということが怖い。
転じて僕も他者の事を、投稿を通じた朧げな輪郭を大して良くはない目で見ざるをえないわけである。そんなに失礼な事があろうか?
そして僕はすべての投稿に「いいね」をつけることと、他者を自分の中で規定し続ける罪悪感に疲れ、SNSを止めてしまった。そしてこのような壁打ちブログを始めたというわけである。
いやLINEは一応SNSか。
自意識の地獄
思春期に比べればだいぶましになったとはいえ、自意識過剰からなかなか抜け出せずにいる。ナルシストという意味の自意識過剰ではなく、対人関係における行動主体としての他者の存在が抜け落ちることによる被害妄想を抱きやすいというものだ。
要は「他者の行動すべてが自分に関係しているのではないか?」という考えから抜け出せず、「あの人のあの言動は自分にとってどういう意味があるのか?」という妄想に憑りつかれる。なんとなく他者が自分の意識の内側で動いているような錯覚を見続けているのだ。
そもそも他人は僕のことを意識して行動しているわけではないのだから、自分にとって不利益な言動をとることがあるのは当然のことである。しかし、僕の目にはそのような言動が「その人物が僕を意識して起こしたもの」に映る。
すると僕の中で以下のようにロジックが進む。
「この人は僕のことを意識しつつ、僕にとって不利益・不愉快な行動をとった」
↓
「この人は僕を傷つけるように意図して、その行動をとった」
↓
「この人は僕のことが嫌いなのかもしれない」
これが積み重なると、自意識の中の他者は基本的に「僕のことが嫌い」であるかのように見え始めて他人のことを信頼できなくなる。他者の行動は高確率で自分に対する嫌悪の発露ではなく、他者による全く自分と無関係の意思決定であるにも拘わらず。
このような自分勝手な被害妄想は確実に他人に迷惑をかけているが、どうすればここから抜け出せるのか見当がつかない。
被害妄想はする側もつらいのだ。
僕の日記はなぜ暗くなってしまうのか?
僕は自分のことを明るい人間だと思っている。人と会えば結構積極的に会話するし、よく笑うほうだ。
それなのになぜか、文を書こうとすると暗くなってしまう。なぜ?
仮にこの日記を目撃した人間がいたとして、こう暗いことが書き連ねられていたならば気分を害するかもしれない。それはほんとにごめんなさい。
ブログっぽくしようとか冒頭に言っといて全然文字とか弄ってない。ブログへの道のりは遠く険しい。
corvuscorax
※そういえば航空通の免許が届きました!やったね!
そして甲種危険物落ちました。おめでとうございます。今度は名古屋ではなく、近場で再受験しようと思います。まあ僕にとって甲種はエクストラステージみたいなものなので(仕事上必須ではないということ)年明けくらいにしようと思いますが。
それ以外に重要な資格がいくつかあるので、今年はそちらに力を入れていこうと思います。