渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

話題はないが日記は書く。

 昨日に引き続き、フリック入力の練習のためスマートフォンから日記を書いている。

 なかなか時間がかかるが、訓練せねばなるまい。

 日記でフリック入力の速度と体力を鍛えれば、グループラインで流れていく話題に追随することができるようになるかもしれない。

 ちなみにここまで打ちこんだ時点で、既に橈骨と尺骨の外側から親指に繋がる筋肉に尿酸が溜まり、不愉快な感覚が脳に伝っている。

 大体100字に届かないくらいの文を書いただけでこの体たらくである。

 情けない限りだ。

※以下タイピング入力。そういえば、Twitterの文字制限が140字だったが、それは一度にスマホ打ち込む事ができる身体的限界の文字数がそのくらいだからなのかもしれない。時代は進み人々がフリック入力に慣れた頃、TwitterはXへ変化して文字数制限は撤廃された。まぁ、そんなわけないが。

 

 グループラインといえば、大学2年時の前期ゼミナールにて(私の在籍していた学科では1年次からゼミナールがあった。1・2年次のゼミナールは半期ごとの開講で、4年を通じて6教室を経験することができた。)悲しい体験をしたことを思い出した。

 そのゼミナールにはグループラインが存在していたらしいのだが、僕がそのグループの存在を知ったのは2年の秋だった。

 なぜ僕に声がかからなかったのか一応理由を聞いてみたのだが、どうやら僕はスマートホンを持っていないと思われていたらしい。その答えが本心だったのか、それとも優しさだったのか、今となっては判別できない。

 

書くことがない

 そう毎日何かが起きるわけではない。

 むしろ今日みたいに全く特筆すべき事が無い日の方が多いのに、よく日記を続けているなぁと思う。

 まだお題が残ってはいるが、すでに400文字消費してしまっているのでここからお題を消費するのはもったいない気がする。(というか、僕はかなり嗜好飲料が好きなのでせっかくなら本腰を入れた日記を書きたい。)

 お題スロットという機能もあるので使ってみようかとも思ったが、なんとなく書き始めてしまい今に至る。

 

 ネタ帳を作ってみてもいいかもしれない。

 曲がりなりにも毎日日記を続けているのだから、今後も幾度となくネタ切れに悩まされるはずだ。その時に消費することができる話題をあらかじめ用意しておけば、少なくともネタがないことに悩むことはないはずだ。

 うん。そうしよう。

 明日は書店によって、ノートなりルーズリーフなりを買ってこようと思う。

 

2か月前の自分へ「かろうじて日記続いてます。」

 明日で日記を初めて2か月が経過することになる。服薬や運動のような毎日続けるべき事でも、大体4日以内に飽きて止めてしまう僕にしては珍しく続いている。

 記事数も60を超えて、日記帳の中身もなかなか充実してきた。たまには過去の日記も読み返してみるべきであろうな。機会を見つけて見直しをする機会を設けようと思う。

 

 ところで先ほど確認したところ、累計のアクセス数が1000を超えていた。いつの間にか読者も50人を超えている。一クラス分以上の人数が読者登録をしてくれていると思うと、不思議な気持ちである。

 最近は雑な日記が増えてはいるが、まだまだ書く気は満々であります。読者の方々には申し訳ありませんが、これからも監視をお願いいたします。

 

corvuscorax