渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

祝前日の駅前にて・夢 2

 世間からすればだいぶ若いほうであると思われる自分であるが、最近年齢のことばかり考えてしまう。

 あれよあれよいう間にアラサーと呼ばれる年代に突入し、気が付けば二十代も終わりのほうが近くなっているのだ。

 時間の、その流れの早いことよ。

 

 怖いものは数多くあれど、時間ほど怖いものはそうそうない。

 時間への恐怖心の源泉が、その先に鎮座する”死”への反発であることは疑いようがない。すべての生き物は須く時間にその命を奪われるといえるのだ。(もちろん時間が能動的に生き物を殺すわけではないが。)

 あらゆる危険(恐怖の根源という意味での”危険”)は隔絶度が高ければその影響を無視することができる。

 が、時間から逃れることができない僕たちは、物理的に時間と距離をとることができない。それゆえに時間がもたらす恐怖心は、僕らの心に取り付いて離れることはない。

 その恐怖心が人間に永遠へのあこがれを与える。

 

夢 2

 今までたくさん夢を見てきた。

 寝るときに見る現象としての夢ではなく、将来の夢に代表されるような「こう在りたい」という願いとしての夢のことである。

 今まで生きてきた人生の道を振り返ってみれば、大半がその傍らに無残な形で捨てられている。

 夢はその大半が人間の精神的排泄物になる。

 夢を捨て、かつての自分を裏切り続けて生きている。

 

 「夢を追い始めるのは何歳になってからも遅くはない」とよく聞くが、夢を見る能力は年齢とともに衰えて、見ることのできる夢の範囲は狭まっていくように思える。

 人間は年齢が上がれば上がるほど、社会的にも身体的にも夢を見ることへのハードルが上がるのだ。

 そのような外的要因は自身の精神世界にも大きな影響を及ぼし、夢を叶える能力はもちろん、夢見る能力すら失われていく。

 悲しい話である。

 

祝前日の駅前にて

 僕は仕事の度に駅を訪れるわけだが、何やら今日は道端を歩く人が多い。夕方ごろはもっと人が少ないような気がするのだが。

 そういえば明日は勤労感謝の日、今日は祝前日なのだな。カレンダー通りではない仕事をしていると、どうしても曜日感覚や祝日感覚?を失いがちである。

 明日が祝日だと仕事帰りで駅前に滞留する人々も増えるのだろうか?

 

 それにしても、都心方向からの電車が到着するたびに改札は大量の人を吐出する。

 都や国の資料にはどれほど多くの人々が毎日都心へ通っているかが数字で示されているが、実際多くの人間が移動している様を目撃するとそのスケール感に圧倒されるものだ。

 毎日これほど大量の人間が輸送されているなんて、知ってはいても正確に想像することは難しい。

 実際に今、目の前に広がる光景もその一角に過ぎない。

 きっと首都圏を放射状に延びる各沿線の各駅で、これと似たような光景を見ることができるのだろう。

 世界最大の都市圏ともいわれる東京圏、ここは想像力の追随を許さぬほどに巨大な街なのだ。

 

勤労感謝の日 新嘗祭に端を発する国民相互に感謝し合う1日。Wikipediaによると日本の国民の祝日の中で最も長寿な祝日らしい。へー。

 

明日から車検

 先日免許更新をしたばかりではあるが、今度は車検が迫る。

 人のほうは無事に新免許を取得できたが、車のほうは無事に車検を通過できるだろうか?

(そんなに酷使しているわけではないですし特に不安な点はありませんが、もしものこともありますから。)

 

 特典として大量に箱ティッシュをくれるらしいので、地元のガソリンスタンドで車検を申し込んだ。

 今後一年間はティッシュを買わずに済みそうである。

 

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