渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

最速日記を目指して殴り書き

 気が付けば21時50分を回っていった。

 まずい。早く書き始めないと日記連続投稿記録が途絶えてしまう。

 別に途絶えることで命の危機が訪れるわけではないのだが、僕はおそらく1日でも更新が途絶えたならば急速に日記に対する興味を失ってしまうだろう。そうゆう人間なのだ、自分は。

 よって、是が非でも今日中に日記を更新をせねばならぬのだ。

 

 僕は時々、諦めの衝動に支配される。どんな大事なものでも「あ、これ別に捨ててもいいな」と思えてしまう瞬間がたまに来るのだ。例えばそれは習い事だったり、人間関係だったり、約束だったり、はたまた仕事だったりもする。

 その瞬間が訪れた時、僕の意識の連続性は途切れる。

 それまでの自分は今の自分にとってもはや別人であり、意思決定上の尊重する対象から除外される。過去の自分が何を思い、何をしていたとしても容赦なく切り捨てることができてしまう。

 それを考慮すると、現在の自分が考えることに意味などないのかもしれないと思えてしまう。未来の自分が今の僕の考えを切り捨ててしまう可能性があるのだから。

※僕は未来の自分の判断を重視していることに気が付いた。未来の自分によって現在の自分の考えが否定されることを恐れているのだ。

※思えば、古代より未来を知る人間は特別な扱いを受けてきた。占いが大きな意味を持っていた時代があることがその証明だ。どの時代、どの地域においても、その方法は多種多様だが、未来を知る人間は尊敬を集める。人間にとって「未来」とはそれほどに関心を引く事柄なのだ。

 

 僕は人と比べて明らかに責任感が薄い。あまりそうは思いたくはないが、実際そうなのだ。

 責任とはその人物がその人物であるという連続性にしか生息できない。責任を守るというのは、自分が自分であり続けようとする努力をすること、つまり通時的な一貫性を持つことである。

 それまでの自分の意識をゴミ箱にポイできてしまう自分には責任感など宿りようがあるまい。

 そしておそらくこの質は、周囲の人間に多大な迷惑を与えている。やだなぁ。

 

 今日は正真正銘の殴り書き日記であった。見直しもしていない。

 せっかく日記を書くのだからもう少し考えながら文字を重ねていきたいものだが、そう毎日フルスロットルで考えを巡らせることができるわけはない。

 自分に優しく生きていこう。たまにはただ書いただけの日記でもいい。

 そもそも毎日日記を書くことが目的なのだから、内容は二の次なのである。

 

corvuscorax