渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

過去の日記へ目を向ける

 本日は休日。

 久々に車のエンジンをかけてみたら、バッテリーがかなり弱っていたことが判明したのでしばらくドライブすることにした。

 ラジオを掛けながら2時間くらい運転した後、手近なココスにて食事をする。

 良い休日だと思う。

※最近ココスの会員ランクが上がり、5%OFFの年間パスポートを貰った。うれしい。

 

過去の日記をみる

 あまり過去記事を見返したことがなかったのだが、本日少し覗いてみた。

昨日の話

 昨日の夜。

 記事を修正することを決意して日記を閉じたわけだが、その後に同居人と深夜のコンビニへ繰り出したりスプラトゥーンをしたりと色々忙しくなってしまい、そのまま寝てしまった。

 念のため弁解しておくが、一応寝る前にパソコンを開き修正するポーズはとったのだ。

 しかし、自分の書いた日記を読み返すという恥ずかしさもさることながら、修正のために神経を研ぎ澄まして記事を読むということ自体がなかなか体力のいることであるということに気づかされた。

 寝ぼけ眼にこの作業はつらすぎるし、何なら修正の結果さらにひどくなってしまう可能性すらある。

 結局「修正は明日やろう。」ということになったのだった。

 

修正しました

 本日18時頃、修正した。

 もともと文法などは得意な方ではないので限度はあるが、目に付いた文章と空白見出しを修正した。

 修正してみたものの、特に語るべき点は無かった。

 

さらに過去の日記

 ついでなのでさらに以前の日記、要するに毎日更新していたころの日記を見返してみた。

 これがなかなか面白い。

 

 内容云々はともかくとして、過去に日記を書いた自分自身が想像以上に他人であることに面白さを感じた。

 それこそ過去記事において「過去の自分は時間を隔てただけなのにも関わらず他人になってしまう。」と言った旨の発言をしているのだが、まさしくその通りである。

 

 ただ、すべての言葉が今の自分とかけ離れているかと言われるとそうではないのもまた不思議だ。

 その文面にはそれなりに現在の自分のエッセンスも残っているのである。

 

 思うに、日記の効果はここにあるのではないか?

 その時々の自身の様子を記録しておき、現在の自分との共通点を探る。

 そうして見つかる共通点こそ、自分自身の内側に秘める信念ともいうべき考えなのではないか?

 

 過去の日記を見返すことが自分探しの旅になる。

 それがわかっただけで、今日が大きな価値を持ったように思う。

 

本来今日書こうと思っていたこと

 今日は過去記事修正のついでに過去記事を読み返してみたことが話題になってしまったが、本来は別のことを書こうと思っていた。

 今朝の時点でつけていた日記のタイトルは「プロペラとローター」である。

 別に大した内容ではないのだが話題は貴重なので、有効活用して次回の日記のテーマにしようと思う。

 

corvuscorax