渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

やらかしの記録② ボヤ

 今週、まだお題を消化していないことに気が付いた。いくら何でも日が経つのが早すぎる。

 ようやく10月が身になじんできたと思ったらもう11月だ。ハロウィンもいつの間にか終わって、所によってはクリスマスの文字を目にするようにもなった。「気が早いだろ」と毎年思っていたが、ここ最近の時間経過の速さから勘案すると丁度よいくらいなのか?「12月に入ったなぁ。よし!そろそろクリスマスの準備をするか!」では遅いのかもしれないな。

 

季節感

 僕はよく「季節感がない」と言われるが、おそらく時間経過の速さについていけてないのだろう。

 なぜ置いてけぼりを食らうかといえば準備をする力がないから、つまり予定を立てないからだ。何かが起こってからそれの対応をしている。冬が来てから冬服を選び始める。そんな対症療法で日々を過ごしている。だからファミレスに行って食事をしてから財布がないことに気が付いたり、実家に帰って玄関のカギを開けようとしてからキーケースを家に忘れたことに気が付く。それに気が付いた時にはもう手遅れで、とりあえずの対応をするしかない。そして自分に落胆することを繰り返す。

 思えば僕は、昔から予定を組むという行為が不得手だ。宿題も締め切り直前まで全く手を付けないタイプだったし、大学も「必修はなんやかんやとれるだろ。とりあえず好きなやつ受けたろ。」といって結局留年してる。僕は常に油断している。

 

 冬が来るんだな、もう。ついこないだ「やっと涼しくなったー」と浮かれていたのに、今はもう朝が寒い。再来週あたりには「もう冬になった……」などと言っていそうである。

 やっと来たのにもう終わる。この世で最もせっかちな存在は時間そのものだと思う。もっとゆっくり進んでほしい。

 

ボヤ

 先日トースターを燃やした。

 買ってきたメンチカツを温めてしばらくしたら、やんごとない煙が部屋中に拡散してえらいことになった。モクモクである。どうやらメンチカツにしみこんでいた油が滴下し発熱部に触れたらしい。受け皿に垂れた油に着火して庫内は真っ赤、ともかくトースターの電源を落とし様子を見る。

 幸い火の勢いは収まり、1分ほどで鎮火した。味噌汁事件では「ボヤになんなくてよかった~」とか言っていたが、今回は立派なボヤ騒ぎとなってしまった。やはり火が出て、煙が部屋に充満すると本能的に危機を感じて焦る。

 排煙のため窓を開け、自分もベランダに出る。手すりに両手と体重を預け、遠くの山を眺めながら、火事になっていたらどうすべきだったかを考えて落ち込んだ。

 

 難しいものですね。今回の事件は一体なにがいけなかったのだろう?

 トースターの使い方も多分間違えてないし、メンチカツをトースターで温めてはいけないわけでもないだろう。これは不可避だったのではないか?

 だとして、この対応は正しかったのか? 結果的に火事には至らなかったけれども運が良かっただけかも。迷わず消火器を使用してリン酸アンモをぶちまけるべきだったのか?

 とにかく、人は不意の炎や煙に驚くものだとよくわかった。

 

レシピ書いてない

 そういえば1回しかレシピ書いてないことに気がつく。よく気が付く人間である。

 昨日は焼きシュウマイをつくったのだが、やはりレシピも写真も残していないのでその配合は闇の中だ。けっこうおいしかったのに、もったいないなぁ。

 いつも食べた後にレシピを書いていないことに気が付く。調理中はもう料理で頭がいっぱいで、その時僕の脳内に記憶は存在しない。

 「集中している」といえば聞こえは良いが、ただのマヌケと言われても何も言い返せない。あの状態は一体何なんだろう? 不思議な状態異常である。

 

悪夢

 悪夢を見た。

 詳細はよく覚えていないのだが、大雑把に言えば夢を捨てる夢だった。子供のころに抱いていた将来の夢や、大人になってから志向した職業・趣味・勉強その他のやりたかったことを思い出して、そして諦める。それがどこまでも続く悪夢。

 「諦めること」と「我慢すること」は何かを「しない」という点で似ているように見えるが、まったく違うものだ。「我慢」の先には自分の信じる勝利があるが、「諦め」の行き先は決まって敗北である。我慢は過程であり結果ではない一方で、諦めは結果なのだ。その先には何も生まれず、ただ大きな敗北感を背負わされる。

 

 「諦める」という行為の苦しさを延々と感じさせられ続ける感じ。虚無感と焦燥感が一斉に襲ってくる感覚。非常に不快だった。明日はいい夢みさせてくれ。

 

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