渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

今週のお題「最近読んでいるもの」 注:3000字オーバー

 まずった。先週のお題「芋」を逃してしまった。まさか今日お題が更新されるとは……

 そういえば明日は「晴れの特異日」こと文化の日だ。ひょっとして金曜が祝日だった場合その前日に更新されるのか? お題って? 特に「芋」について語れるほどの思い入れがあるわけじゃないので別に構わないんですけど、せっかくお題があるならばなるべく消化していきたいものだ。今週からはお題発表後2・3日のうちにお題を消化してしまうことにしようかな。なるべく。

 

今週のお題「最近読んでるもの」

最近について

 今回のお題の場合は特に問題にならないが、こうゆうのを見ると「最近」ってのにいつまで含めてよいものかいつも迷う。「最近」や「この前」というような言葉を使う時は、「自分は周囲と感覚がズレていないだろうか?」という恐怖感との闘いの時間である。これらの時間の質感を表現する言葉は、使用するたびにチューニングを行う必要がある繊細な言葉たちだ。

 別に書き手の想定している「最近」と、読み手の「最近」の質感との間に多少の齟齬があったとしても罰せられることは無かろうが、なんとなくその手の時間間隔は人に合わせておいた方が良いように思われるのがまた困りものである。

 人によって時間に対する感覚が違っているのは明らかで、「マイペースな」や「せっかちな」という形容詞が存在することがその証左である。特に「体感時間上の人生は20歳でほぼ半分終わっている」という論に代表されるような、加齢による体感時間の加速についても多くの人間が言及している。

 これについては僕も同意で、実際まだ若い年代である自分でも、年を取るにつれて「最近」のレンジがどんどん広がってきている実感がある。20代も後半に差し掛かった今では当たり前のようにここ3年間のことについて最近と表現するが、中学生や高校生にとって「3年間」は多くの場合、その学校生活の全期間を指す。中学三年生が同一学年時の出来事を「最近」と表現できようはずがない。

 当たり前だが、僕はこれから歳を取る。これからますます時間が加速していくのかと思うと、恐怖以外の何物でもない。

 

本題「最近読んでいるもの」

 大きく脱線しましたが本題に移ろう。最近読んでいるものについて。

 

 まず僕は紹介文にも書いた通りにネット初心者でありますから、基本的にあまりネットを見ない。最近はブログを始めたので他の方のブログを覗かせてもらうことも多くなったが、それでも一日に1時間を超えることは少ないと思う。

 よって僕が読むものは基本的に紙媒体の本だ。なぜ「紙の本」なのかについては別にリテラシーがどうとかみたいな高尚な理由はなく、ただスマートフォンの画面を指で擦っていると30分ほどで指の皮が剥がれ始めて集中できなくなるからだ。別にパソコンで電子書籍を読んでもいいのだが、パソコンの電源を入れて、パスワードを入れて、サイト・アプリを開いて、ログインして、目的の本を探して、ようやく読み始めることができる。このような手続きに僕は耐えられない。「本を読み始めたい!」という衝動に電子書籍の起動が追いついてくれればいいのだが、現状はサイトにログインするあたりで読む気は半分以下になってしまう。

 

 また脱線気味になってきたので本題に戻る。

 僕が普段何を読んでいるのかを大雑把に紹介すると、SF小説・一般書・新書(新刊ではありません)・地図がほとんどである。(ここで先ほど嘘をついたことに気が付く。地図は主にネットで見ている。地図については今後この日記でいろいろ言及する予定があるので本日は割愛とさせていただく。)

 あまり長くなっても仕方がないので、直近で読んだものを何冊か、ちょっとしたコメントをつけてご紹介する。

 

SF小説 「メタルギア ソリッド ガンズ オブ ザ パトリオット

 PS3のゲーム「METALGEARSOLID4 GUNS OF THE PATRIOT」のノベライズ。角川文庫から。

 

 もともとメタルギアシリーズは僕の大好物で、マスターコレクションVOL.1が発売されたことをきっかけに読み返した。「虐殺機関」「ハーモニー」をヘビーローテーションする故伊藤計劃氏のファンでもあるため、同氏の文章でメタルギアを享受することができて僕は幸せだ。

 この小説については、本書のあとがきにも書かれていたことだが、オタコンを視点においてゲームの世界を映しだした点が非常に巧妙だった。

 

 当たり前だが、小説はゲームとは違う。

 ゲームは自分の操作によってプレイアブルキャラ(本作の場合はソリッド・スネーク)を動かすことができるため、プレイヤーの視点はいやでもスネークに近いものになっていく。しかし、僕らはスネークではない。どんなにゲームに没頭したとしても、現実において他者の心が想像の域を出ないように、そもそもスネークの物語を”スネークとして”体験することはできないのだ。

 スネークが何を感じ、何を思ったのか? それらはプレイヤー各々の解釈の中である程度差異があってよい・あるべきものだ。ノベライズによってスネーク視点の物語がどれだけ精密に描かれたとしても、読者本来の追体験とは異なってしまう。「そういう解釈もあるよね」となってしまう。

 

 このノベライズでは、オタコンを語り手としてスネークについて語らせる手法をとることで、スネークの心を読者に想像させた点で巧妙だった。この手法によって、読み手は他者としてのスネークを間近に感じることができる。

 スネークと読み手である自分との間にあえて数枚の障壁を設けることで、物語は一種の現実味を帯びてくるということに対する驚きは、しばらくの間僕の中で影響力を持ち続けることになるだろう。

 

 いやはや、「METALGEARファン」x「伊藤計劃ファン」なもので、空回りしました。ごめんなさい。

 

・一般書 「カラスの教科書」

 カラス研究最前線の研究者、松原一先生の著書。続刊に「カラスの補習授業」。雷鳥社から。

 

 僕は松原一先生のファンだ。カラス研究者という点でもそうだが、この人の書いた文章はユーモアがあふれている。それでいて、論理的にわかりやすいのだから、すごい。

 先生の著書は何冊かあるが、最近だと「カラスは飼えるか」を出版されている。この本もかなり面白くて、おすすめ。過去の研究を振り返った昔話において、生物学研究の過酷さを、クスリと笑ってしまうようなユーモラスな文体で表現されている。

 

 また、松原先生の著書はどれも「人間と自然との関わり方」について、先生の哲学がふんだんにちりばめられている。この哲学に僕は共感していて、自然について考える際の補助輪として使用させていただいている。

 

 松原先生、新刊楽しみに待ってます。

 

・文庫「読書について」

 岩波文庫から。ショーペンハウアーの著書。その鋭利な舌先で当時の出版界に蔓延った商業主義を切る。(と思っている。古典については最近読み始めたばかりでして……あまり的確に感想を述べることは出来かねます。)

 ごく最近読んだものなので、まだ未消化。ただ、「確かに読むだけで満足してはいけないよなぁ。」と思った。

 

やばい!時間がない!

 やばい、いろいろ書いてたらもう23時を回った。

 これだから本について喋りたく無いのである。3000字超えの長文になってしまったが、もし誰か読んでくださったならありがとうございました。

 明日からはもっと短くまとめたいと思います。

 

corvuscorax