せっかく三連休であるから実家に帰って犬を愛でようと思い、母親に連絡を入れた。
実家で飼育している2頭の犬達はどちらも真っ白でふわふわな日本スピッツで、触ると底抜けに柔らかくて温かい。
彼らは僕が帰るとものすごい剣幕で喜んでくれるので、僕の自己肯定感を高めてくれる。彼らに触れ、コミュニケーションをとることは、僕の人生の中でも割合大きな楽しみの一つとなっている。
しばらくして母親から返信が来た。
「今日から福島に旅行だから。私も犬達もいないよ?」
ショックである。
我が家の犬達
先述の通り、我が家では二頭の犬を飼育している。
クルムとミルヒ。
どちらも真っ白なダブルコートの被毛にくるまれた、愛らしいスピッツ系犬種である。
クルムの方が先住で3年ほど前から我が家で飼育されている雄の日本スピッツ。
先代が旅立った後の尋常じゃないペットロスから母を救った、我が家の英雄。耳毛がチャームポイント。
怖がりで引きこもりがちな性格で、あまり人懐こくはない。擬人的に形容するならばコミュ障の陰キャ犬ということになるだろう。ただ、家族に対しては心を開いているように見えるので、専ら我が家の構成員からの寵愛によって幸せに生きてほしいと願っている。
名前の由来は、3年前に病気で旅立った先代の日本スピッツ「むく」から。名前を逆さにした「クム」の語感をよくするため、間に「ル」を入れた。(母談)
偶然にも韓国語で”雲”を表す”구름”と響きが似ている。
テニスファンというわけではない。
ミルヒは1年くらい前にやってきた新たな家族で、こちらは雌の日本スピッツである。
とにかく元気。元気すぎる。
その矮躯に膨大な体力を内包する活発な犬で、とても人懐っこい。ドッグランなどでも他家の犬達と上手にコミュニケーションをとることができるコミュ強犬である。
人にも良く慣れていて、よく他家の飼い主に媚びを売りに行きお菓子などを獲得する。万年ハロウィン犬。
名前の由来はドイツ語で”牛乳”を指す単語”milch"から。(母談)”スピッツ"="spitz”もドイツ語であるから相性はよさそうだ。
その名に恥じない純白と、尖った鼻面が愛らしい。
※ちなみに両犬とも去勢されている。
犬について
犬達に会えなかったショックが大きいので、その欲求を発散させるべく「イヌ」について語らせていただく。
近年は猫の台頭によってその存在感は相対的に希釈されているが、それでも犬は人間に対して大きな魅力を放つ動物の一種であることは疑いようがない。
人類が言葉を得るよりも先に人間とともに生活するようになった家畜の元祖であり、オオカミを起源とする彼らは数多の世代交代を重ねて人間の生活に馴染み、現代にいたる。
(つまり年功序列的価値観で語るならば、「犬」は「言葉」よりも信用できる人類のパートナーであるといえる? ※流石に言い過ぎである。)
犬は人為的改良(人間は犬達を目的に応じて選定し、牧羊犬として使役するコリーなどのワーキング犬種、ネズミ捕りとして有能なテリア犬種、人間の狩猟補助として重宝されるレトリーバー・ポインター等のスポーティング犬種など、様々な性質を持つ犬種へ分化させた。)の他にも、進化の過程で様々な”人間ありき”の性質を身に着けた。
ある本によると、オオカミが狩猟によって獲物を獲得する捕食者=ハンターであるのに対して、イエイヌは日和見的腐食者=スカベンジャーに分類されるとされていた。
オオカミは狩猟を得意する完全な肉食動物であるが、イエイヌはオオカミの性質をその面影に残しているが雑食性だ。
これは人間との生活に適応するための進化の産物であるとされる。
オオカミから分離したイエイヌは人間から給餌を受ける利便性に目を付け、進化の過程の中で肉以外を栄養とする能力=人間と同様の雑食性を獲得したのだという。
人間の生活に自分たちの習性を近づけることで、彼らは自ら食料を確保する必要がなくなった。
また一説によると、オオカミとイエイヌを分ける能力の一つに「目を合わせた時にオキシトシンの分泌が促されるかどうか」が該当するとか。
イエイヌは人間と目を合わせると愛情ホルモンであるオキシトシンが分泌されることが判明しているらしく、オオカミが人間に慣れない事と対照的に犬が人間に慣れるのはこの機能をイエイヌが獲得したからだというのだ。
それどころか彼らは、目を合わせることで人間にオキシトシンを分泌させる能力すら獲得しているとのことである。
雛が口を広げた時に現れる”オレンジ色のひし形”を見ると親鳥の給餌欲求が高まるのと似たようなモジュールを、彼らはヒトの中に作り出したのだ。
そのカラクリは赤ちゃんを見た時の庇護欲求への精神的擬態であり、彼らはヒトの社会性をジャックして自分たちを仲間として認識させる。
その本質はもしかすると「托卵」に近いものなのかもしれない。
彼らは”人に慣れる”という機能を自分達に、”犬に愛情を抱きやすい”という機能をヒトにそれぞれ作り出すことで、人間のパートナーとしての地位を確立した。
要するに彼らは「ヒトを好きになろうとする」とともに、「ヒトに好かれようとする」進化の道を辿ってきたのだ。
なんともけなげな話である。
※僕の意見です。本から得た知識を基にしていますが、如何せん僕の記憶の上の話なので信用には値しないでしょう。
※読み返してみると、あまり感情を感じられない文が続いてしまっているように思えるが、僕は犬好きです。本当です。
語った結果……
犬について語っていたら、逆に犬を愛でたい欲求が高まってしまった。失策である。
「今週中にどうにかして会いに行ってみせる。」
そう決意した、三連休最終日の夜であった。
corvuscorax