渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

コンビニで買うだけが肉まんじゃない。

 本日4月15日。もう四月が半分終わる。

 

 昨日今日と花粉が勢いを増しているように感じる。

 アレルギー体質である僕は基本的に年中鼻が終わっているのだが、特にここ数日間僕の両鼻の孔からは絶え間なく透明で粘着質な液体が湧き出る。

 もしこれが原油だったらなぁ。

 億万とはいかなくとも長者にはなれるのではないか?

 いつの日か、僕の鼻水が資源として脚光を浴びることを夢見て今日も鼻をかむ。

 

肉まん

 コンビニと言えば何か?

 むろん、それは肉まんである。

 日本に住むたいていの人が肉まんを食べたいと思ったときにはコンビニで買うか、スーパー等で売っているヤマザキの肉まんを電子レンジで温めるものである。

 加えてこの国の都市に立地するスーパーやコンビニは空間的に高密度であり、かつ年中無休であったり24時間営業している店舗もあるなど時間的にも高密度な存在であり、店舗へのアクセスに悩まされることは少ない。(もちろん種々の事情によってはその限りではないわけだが。)

 

 さらに、忙しい現代人にとって肉まんのような絶妙に手のかかる料理は敬遠の対象だ。

 近所のコンビニで簡単に買うことのできる肉まんをわざわざ時間をかけて作るくらいなら、その時間を別のことに充てたくなるのも道理である。

 要するに、ご近所事情が相当特殊でない限り、肉まんを食べるためのルートはこの二つに絞られるのである。

 

(焼く・煮る・茹でる・揚げる・和える・漬ける・レンチンするetc、人間の生み出した調理方法は様々だが、「蒸す」ことのコストについてなんとなく高く感じるのは僕だけだろうか? 今でこそレンジ調理可能な蒸し器が広く出回っているため、蒸し温野菜などは気軽に作ることができるが、コンロ上で使用するいわゆる蒸し器や蒸籠を使うことはかなーり面倒くさい。一人暮らしの人間でフライパンを持っている者はそれなりの数いるとして、蒸し器や蒸籠を持っている人間は果たしてどれくらいいるだろう?)

バーミヤンなどの中華料理チェーンに於いて、小籠包や焼売などの点心は蒸籠に入れて提供されるが、そのことになんとなくワクワクする人間はきっと多いはずだ。普通の白い平皿に乗せられて提供されるよりも、蒸籠に入って提供された方がはるかにおいしそうに見えるのである。このワクワク感こそ蒸籠等の蒸し料理用器具が非一般的であることの象徴なのである。)

(そう思ったのだが、ここで一つ反例を思いついてしまう。では「スキレット」はどうなのだ? 前述した通り、「焼く」は「蒸す」と比較してはるかに一般的であると仮定した調理方法だ。仮に蒸籠で点心が提供されるワクワク感が「蒸す」ことの非一般性に起因しているとするならば、スキレットでハンバーグが提供されるのは「焼く」ことの非一般性に起因しているということになってしまう。)

(こうなると話は振り出しに戻る。いったいどこが間違っていたのか。「焼く」が実は非一般的である場合、もしくは「蒸す」が実は一般的である場合はスキレットの例を説明できる。しかし僕が今主張したいのは「蒸す」が非一般的調理方法であるということである。その前提を崩すわけにはいかない。おそらく例が適切ではなかったのだ。おそらく「蒸籠で焼売が提供されるワクワク感」は蒸すことの特別感が原因ではなく、調理からの距離感の問題なのだ。)

(そう考えればスキレットについても説明が付く。皿に盛られて提供されることとスキレットで提供されることの違いは、その料理が完成しているか否かであると考えられる。「皿に盛る」とは加熱などの意図的調理を止めて料理を固定化する工程だ。だとすると、調理場で完成した料理はウエイターによって席に運ばれるまでの間の時間は劣化であると読み替えることも可能である。その点スキレットは、言うならば調理中の段階で配膳し、食事者の目の前で完成する⦅現在進行形で完成し続ける⦆提供方法だということができる。旅館などで提供される、固形燃料に火をつけ席で加熱するタイプのメニューなどこの手の提供方法は「出来立て感」の最高峰を目指したものなのだと捉えることもできる。蒸籠提供はその時点で蒸し続けているわけではないが、皿に盛るよりも調理との連続性を損なわずに済むのではないか?)

(もちろん、以上は僕の直観であり根拠は一切ない。結局、すべて蛇足になってしまった。)

 

 ただ今日の僕は違った。

 第三の手段「メイド・イン・僕」を試してみようという気になったのである。

 早速やってみよう。

蒸籠バージョン。
手持ちの蒸籠が小さいため、肉まんが壁にくっついてしまった。
一気に二つ蒸すことに無理があったのだ。

鍋バージョン。
こちらはスペースにゆとりがあったため変形は無し。

 中なかうまくできたのではないか?

 調理時間は発酵を含めて3時間ほどだった。

 肉だねには豚挽き肉200g・長ネギ1本・その他調味料を使用。皮には薄力粉160g・強力粉40g・イースト5g・塩・砂糖を使用。

 包むのが最難関で、コンビニで売っている物ように綺麗な結び目を作ることはできなかった。しかし、以前作った時に比べると格段にレベルアップしている実感があった。今回は皮の底から液漏れしなかったのだ。

 以前肉まんを作ってみた時は皮をのばすときに薄くしすぎてしまい、肉だねのエキスが皮を貫通して外に出てきてしまっていたのだ。今回作成した肉まんは一部茶色くなっていたり、頭が開いてしまったりしたものはあるものの、皮が破れてしまっている物は一つもなかった。

 こうして新たな料理ができるようになると嬉しいものである。

 

 肉まんは家でも作れる。

 そのことがわかっただけで、今日は非常に有意義な一日だったと言える。

 

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