渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

こんな天気のいい日にはダムへ行きたくなる

4月20日

 自転車のサドルに花粉(黄砂かもしれない)が積もっていて、それを払ったときに舞い上がった粉塵を大量に吸い込んでしまった。

 そのため、朝から非常に鼻の調子が悪かったのだがコーヒーを飲んだらなぜか治った。ひょっとすると気分の問題だったのかもしれない。

 「病は気から」という言葉がある。

 根性論として使われると厄介ではあるが、それを信じることで救われる場合も確かにある。

 

ダム

 こんな天気のいい日にはダムを見に行きたくなる。人間ならだれしも、そう思う瞬間があると思う。

 山間部だった僕の地元には市内にいくつか大きなダムがあり、うち1つは市街地からでも見えるほど近くに提体があって、ふと山を見れば目に入ってくるほどに身近な存在だった。

 多くは僕が産まれた時にはすでに完成していたダムなのだが、1か所は僕が小学生の時まさに建設中のダムで、子供のころは建設現場をたびたび見に行っていた記憶がある。

 徐々に積みあがる提体と、上に幾重にも張られた鋼線。それにぶら下がる鉄箱。

 ダム湖になる谷の上のやたら高い位置を通っていた国道は、現在水面から10mそこらを通る。

 あんなに深かった谷の質感は、高さに対する恐怖心と共に失われたまま帰ってこない。

 今思えば、あの体積(当時見た深い谷)を水が埋め尽くしているという事実に別種の恐怖を感じるが、当時の僕は山の上が水の上に変わったことにひどく感動したものである。

 

ダムの良さを考察

 色々問題はあるが、僕個人はダムに対して好感を持っている。

 ダムの良さはなんといっても恐怖感であると思う。

 提体そのものの巨大さに対する恐怖感に始まり、そこに蓄えられている想像の及ばない水量に対する畏怖、広い水面に対する恐れ。提体の上が解放されているダムの上を歩いて下を覗けば高さへの恐怖。また、なんとなく幽霊が出そうというスピリチュアルな恐れもある。

 それらの恐怖感の源泉は何だろうと思ったのだが、おそらく見えないことなのだと思いつく。

 

 ダムの水面下には本来深い谷が存在しているが、ひとたび水面に覆われてしまえばその下に存在した空間の存在感は希薄になってしまう。

 3次元を構成していた広大な空間は水面という2次元平面に変換されてその厚みを失ってしまうのだ。

 ただ、少し想像力を働かせてみた瞬間、この水平面の下には途方も無い体積が詰まっていることを思いだす。同時に、忘れていた高さへの恐怖心や、水中の暗闇に対する妄想を引き連れてくるのである。

 

 ダム本体もそうだ。

 ダムは巨大な建造物だが、その中身は見えない。

 知識として中身は岩だったり土だったりコンクリートだったりすることを知ってはいるが、それを確認する手段がない。

 進撃の巨人の壁ように、提体の中に得体のしれない何かが詰まっていたらどうしよう。

 そんな不気味な想像をしてしまう。

 

 ダムはその体積に対して見えない部分が多いからこそ、想像力が見えないものを見ようとして恐怖心を生み出すのだろう。

 なんとなく幽霊が出そうというイメージもここから生まれているのかもしれない。

 

スリルを求めているのかも

 僕が新幹線に興味を示したきっかけも恐怖心であったことからも、僕はスリルを求めて生きているのかもしれない。

 

 弓やバイクに興味を持ったのもそれが原因なのだろうか?

 今度バンジーとかやってみようかな?

 

corvuscorax