8月27日
昨日バイクのミラーを換えまして、というのもよくよく計測してみたらそのサイズが保安基準に達していなかったもので、こりゃいかんというわけで即刻近所の2りんかんでミラーを購入して取り付けたわけです。
250ccのバイクというのは車検がないことが強みではありますが、その分今回のような整備不良や故障の発見が遅れるというのは最大のデメリットでもあります。
何事も一長一短ということではありますが、どちらかというと心配性でありかつ自信家ではない(その上面倒くさがりな)私のような人間は、車検という強制力で他人に自身のバイクの安全性をある程度担保してもらえる、250cc以上の車両に乗るべきであるという事にここ数年でようやく気が付いたというわけです。
いくら自分が面倒くさがりだからと言ってバイクが自動的に点検をしてくれるわけはなく、結局は自分自身でオイル類や部品等を購入して拙い点検を定期的に行うのだったら、そのうちの少しでも他人に(プロフェッショナルに)作業してもらった方が圧倒的に良いのだと思います。
もちろん車検でなくとも自動車工場に点検等を行ってもらうことも可能ですが、せっかく車検費用が掛からない250ccに乗っているのにそこに金をかけてしまっては250ccバイクの強みを消してしまう気がします。しかしながら、その金をケチって自分で整備したバイクに乗り何かしらの故障に出くわしたならば、最悪なのはもちろんのことですが、その原因が自分であるという事実が僕は恥ずかしくて昼下がりの町中を歩くことはできなくなってしまうような気もするのです。
結局のところ、どのようなバイクを選ぶのかは免許の範囲内で自由なのですが、きっとどんなバイクを買ったとしても何かしらの後悔はするものなのかなと思いました。
話がそれてしまいましたが、昨日バイクのミラーを交換しまして、見え方や取り付けの確認のために近所を宛もなく走り回っていたわけです。
その際に道端を黄色帽子が集団で歩いているのを目撃し、「ああ、夏休みおわっちゃったんだなぁ」と、もちろん僕自身はその「開けてしまった夏休み」の当事者ではないのですが、それでも何となく物悲しい気持ちになりました。
新学期という現象にワクワクするのか、それともゲンナリするのかというのは当然個人差があるものですが、他人の夏休みが明けた様子を見て物悲しさによって感情移入を図ろうとする僕自身はもちろんゲンナリ派でありました。
これについては持論がありまして、思うに、学校から何かを与えられる人間はゲンナリし、何かを得られる人間はワクワクするのではないでしょうか。
これは学校に通うという事を義務とみるか権利とみるかという話になってしまうのですが、これ以上深堀しても疲れてしまうだけですから今日のところはここまでという事で。
今日の日記は何となく「ですます調」で書いた
「あれ、なんか文体(文調)が……」
そう、本日は普段とは違う感じの文を試しに書いてみた。
普段は「だである」の文を書いている僕が、気まぐれに「ですます」してみると上記のような文章が出来上がるのである。
別に普段から強烈に調を意識して文を書いているわけではないが、それでもちょっとした脳トレにはなったように感じる。
corvuscorax