渡るカラス:壁打ち虚無日記

現代には珍しい?ネット初心者。忘れっぽい自分こそ、日記を書くべきであると思うので始めました。読んでもらったとしてもただ時間が潰れるだけのブログだと思われます。勘弁してください。

渡るカラスなどとのたまっていますが、どちらかというと引きこもっているタイプです。 忘れっぽいというのは本当で、日々消えていく自分自身を現世につなぎ留めておくために日記書いてます。時の流れは恐ろしいもので、気が付いた時には自分の意識だけが時の流れに取り残されていく。いつまでも自分の頭の中に現在の自分を住まわせて置き続けられるほど優秀な脳みそではないので外部に自分を移植しておくことにしました。 ただ日記書くだけでは確実に三日坊主になるので、少しでも他人の目を感じられるネット上で日記を書き始めました。 私はネットも文章も初心者なので、読者が得るものは何もないとは思いますが、パノプティコンの監視員としてご協力願います。(どちらかというとシノプティコンでしょうか?) 

過ごしやすい気候になりましたね チェンソーマンを観る子供①

 いやー天気が気持ち良すぎる。眠くなっちゃう。そういえば1週間くらい前に秋の体験版みたいな数日がありましたけど、いよいよ製品版の秋がリリースされたようですね。

 季節ってやつも月を、気にするんでしょうか?10月になったと思ったら途端に過ごしやすくなりました。ありがたい限りです。

 

 

 今日から新たな職場での勤務が始まりました。特に抱負等はありませんが、迷惑がかからない程度には頑張ろうと思います。

 そういえば、ここに採用されるにあたってボイラ資格と乙四資格を要求されたのですが、この施設ボイラ無いんですけど。じゃああれ何だったん😕

 まぁ濃い業務は無いに越した事はありません。与えられた仕事を黙々とこなす事にします。

 

 

 先日の話になりますが、ドローン実技試験の帰りしなガストに行ったんですよ。そこでゴーゴーカレーを食べてドリンクバーを享受してたんですけど、後ろの方で3歳くらいに見える男の子がチェンソーマンの話をしてたんですよね。 

 話って言っても、ただ「チェンソーマン」って単語を言っているのを聞いただけなんですが、僕はそれが大層気になってしまいまして。

 というのは、あの歳の子供がチェンソーマンをみて、一体何を感じ取るのだろう?という事と、当たり前のように「子供には早すぎるだろ」と思った自分に対する興味が沸々と湧いてくるのです。

 僕は幼児教育に全く明るくないので「脳の発達段階」みたいな科学的アプローチはできないのですが、少なくとも私自身の記憶を頼れば3歳では大枠のストーリーと画しか見ていなかったと思うんですよね。

 まあストーリーについてはどんなものでも大きな骨組みがあるからして、3歳でも理解し得るとして、画はどうか?

 従来の考え方でいけば、あの画は子供に刺激が強すぎるとするのが妥当でしょう。行き過ぎた暴力表現というやつです。もっと大人になって、その意味やフィクション性を理解できるようになってから鑑賞しましょうね?とお預けを喰らわせることがおそらく正しい。

 しかし仮面ライダープリキュアですら、その腑には暴力が潜む。その現実はどう説明すべきか?