普段テレビを視ない自分が、珍しく夕飯時にテレビを見た。今日の日記はそれがテーマだ。ちなみに夕飯はおでん。なぜならちくわぶが半額だったからだ。
「朝メシまで。」という番組をご存じだろうか?
世の中には深夜に働き、早朝に労働から解放される人間がいる。
例えば発電や送電などのエネルギー関連の仕事や、警察・消防などの公共サービス。救急医療に代表される福祉サービス。人の少ない深夜に整備や点検を行う公共インフラなど、多くの人々の夜間労働で日本という国は成り立っているのだ。
そのような人々は日が沈んでから出勤し、朝メシの時間まで仕事をする。彼らの朝飯までの時間、つまり夜間の労働に焦点を当てて「ああ、夜に頑張っている人もいるんだなぁ」とか、「え?そんな仕事が?!」とかそういう趣の番組である。
今日はその2時間スペシャルで、楽しく見させてもらった。
ただ、やはりひねくれ者の僕はそのような楽しみを黙認してはくれない。どうしても気になる点に目を向けざるを得ないように心を動かしてくる。何が気になったかというと、働く人のコメントと彼らの仕事ぶりに対するスタジオ出演者のコメントだ。
働く人はどの人も、仕事の大変さ(嫌なところ)を話こそすれ、最終的には「この仕事が好き」とか、「誰もやらないからこそやりがいがある」とかすごくプラスのことを言って僕らのことを安心させてくれるなぁと。
本当なのか?と。
僕も夜勤をしていた時期がある。だからこそ、そんなプラスの意見が出てくるはずがないと思ってしまう。実際、なぜ22時から5時まで割り増し賃金が設定されているのかを考慮すれば、深夜労働などやりたくないという人が大多数であるということは容易に考え付く。
じゃあその意見や主張はテレビ用じゃないか。少なくとも100%の本心などではない。
もちろん心の片隅にはそのようなやりがいは実際に転がってはいるとは思うが、どうしてもテレビ用の言葉であるような気がしてしまって。もし僕が夜勤時代にそのようなテレビ取材を受けていたら同じようにやりがいがある旨の話をするんだろうなぁと。そんなことが気になってしまう。
スタジオのタレントも「すごい」とか「ありがたい」とか、そういうプラスの言葉で彼らをほめたたえる。もちろんそれ自体は全く悪いことではないし、プロ意識をもって働いている彼らに対してかけるべき言葉であると思う。でもそれを見聞きした僕らの心に芽生える可能性のある気持ちには問題がある場合があるのではないか?
僕らは彼らの仕事ぶりと、その仕事に満足しているという旨の言葉で安心する。「ああ、夜勤なんてやりたくないけど、彼らは誇りをもってその仕事をしているんだなぁ」「じゃああえて私たちが夜勤をしなくても大丈夫だな」と。「夜勤が必要な社会で、自分が夜勤をしなくてもいい。」という逃げ道を作ることができてしまう。
加えて自分たちの代理人であるタレントたちが彼らの仕事ぶりを称賛する。「そうそう、ありがたいよね」その納得感には(私にはできない・やりたくないなぁ)という、罪悪感のようなものを打ち消す効果があると思う。スタジオでVTRを見る芸能人は視聴者の鏡だ。視聴者は彼らの意見を含めて深夜労働というものを理解する。
働く人とタレントのコメント。
これらによって二重に偏光された夜間労働は、その実情を映しているのだろうか?
僕らはこの番組を見て、夜間労働者に対し理解を深めているように錯覚させられてしまうのではないか?
そうゆうひねくれが頭から離れない。
今日たまたま見ただけの番組であるから、まったくの見当違いである可能性が高い。というか十中八九そうだろう。しかし今日の放送を見た限りではそのように感じた。
ただ、本当に夜間労働について理解を深めようとすれば実際に従事してみるほかはない。時間も人も限られる現代において、そのような仕事をしている人がいることを忘れないというだけでも、十分大事なのかもしれない。
ごめんなさい。番組は本当に面白かったんです。
「普段何気なく使っている物・ことにはこのような裏側があるとは。」という単純な興味をそそられる番組のテーマはとても良い。今後も気が付いたときに視聴しようと思う。
それにしても今日はもはや寒いですね。そんで明日は28℃。温度の調節ツマミがバグってるんか?
corvuscorax